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夢見る力ーシラケ世代と「本気出さない」子供たち? [My Opinion]

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撮影に入る前に、ヤング多香子役の芳根京子に

映画の舞台となる1983年という年を説明した。現在、17歳の彼女が30年前のことを知るよしもないので、当時の映画を見てもらうだけでなく、当時の空気がどんな感じであったか?を話した。

僕にとってはついこの前のような時代。想い出がいっぱいの年なのだが、世間ではパロディがブームだった。「Drスランプ」「うる星やつら」「オレたちひょうきん族」「翔んだカップル」(テレビ版)過去の名作を笑い飛ばすものが多かった。僕も好きで見ていたが、今考えると歪んだものも多い。一生懸命に努力する人を小馬鹿にするもの。過去に人気だった「スポ根」「青春ドラマ」を皮肉るもの。とにかく軽いノリで、「汗かいてがんばるなんて、ダサいよ〜」という作風があった。

その理由は60年代から

70年代にかけての作品の反動にあると思える。「巨人の星」「あしたのジョー」「柔道一直線」いわゆる「スポ根」ものや「飛び出せ!青春」に代表される青春もの。汗を流し、涙を流して、がんばるドラマが全盛だった時代が60−70年代である。戦争に破れた日本が経済成長を始めた頃。「がんばればできる! 汗を流して努力すれば先進国に追いつく!」という時代。ドラマもそれを反映していた。

80年代に入り、戦後の貧しさを知らない子供たちが大きくなり、生活に問題がなくなると、汗や涙を流してがんばるのはカッコ悪いと考え出した。それらを皮肉り「夕陽に向かって走ろう!」と叫んでいる人を笑ったり。過去のヒーローをパロディにして「そこまでやる必要あんの?」的な苦笑を描いた。「マジにならなくても、いい気分で、おしゃれな生活送れるじゃん!」という余裕が出て来たのだ。言い方はよくないが金持ちが貧乏人を笑うような視点があった。

が、それは80年代に急に始まった訳ではない。

実は70年代中盤から感じていた。僕が大阪の小学校5年生のとき。クラスでは何かを真剣にやる生徒がいるとすぐに「必死やな?」といって笑う風潮があった。80年代のパロディドラマを思わせるように、がんばる者をバカにする。その裏には「僕はそこまでしなくても、それなりにいい線いってるから」という優越感があった。その頃に流行ったのが「♫シラけ鳥、飛んで行く〜」というアレ。僕らはシラケ世代と言われ、「無気力、無関心、無神経」の三無主義とよく大人たちから言われた。

この背景も同じだ。経済成長で生活はできるようになった。必死になって働かなくても生活できる。食べるにも困らない。でも、今度は学歴社会。成績がよければ一流大学から一流企業へ。成績が悪ければ、それなりの職場へ。「結局、勉強ができないと駄目なんだよな?」的な状況で、子供たちが夢も希望もなくしていた現れではないか? 大人たちは「最近の子供はやる気がない!」といっていたが、安定はしているが、やる気をなくす社会を作ったのは大人たちなのである。

そんな子供たちが少し大きくなって、

飛びついたのが80年代のパロディ文化。がんばる主人公を皮肉るのは、高度経済成長で汗と涙を流してがんばった大人たちに対する否定だったような気がする。その後、中学、高校生になり、僕が映画監督を目指すと夢を語っても、多くのクラスメートたちからは「アホちゃうか?」「無理に決まってるやろ?」「お前、才能あるんか?」と罵倒された。汗水垂らして戦うヒーローを否定するだけでなく、あの当時の10代は夢見る級友や、がんばる人々も否定。「どーせ、無理に決まってる」「世の中甘くないでー」と、何もしない連中が偉そうに嘲笑していた。

そんな連中が20歳になった頃が1983年である。でも、その頃から「何かできる?」「新しい何かが始まる!」という空気も流れ始めた。先に上げたパロディものはまだ作られてはいたが、83年を境にまじめに人生を見つめる作品が出て来る。「Drスランプ」の時間帯はやがて「ドラゴンボール」に、「うる星やつら」は「めぞん一刻」になる。どちらも、努力する主人公の物語。でも、時代は、相変わらず何もせず。がんばる者を嘲笑する風潮があった。

そんな時代。そんな若者たちのこと。

17歳の芳根に話した。ら、こう言われた。「分かります! 私たちの世代も同じです。私の友達でも、何かしたい。夢を実現したいと内心は思っているのに何もしない。がんばろうとしない。それでいて、オレはまだ本気だしてないからなんていうんです! だったら、何で本気出さないの!と思うんですよ」なるほど、思い当たる。僕が何年か前まで教えていた演劇学校の生徒がそれだった。

皆、「俳優になる!」という夢を持ち、学校に通っている。それなりに実力がある子もいる。が、発表会を控えたある日。その生徒がこんなことを友人と話していた。「お前、発表会なんかで本気だすのか? 適当にやればいいいよ〜」ーーーーー駄目だこりゃ!そう思った。彼の思いはこうだ。「オレは実力ある。いずれプロの世界で活躍したい。だから、学校の発表会程度で真剣にやりたくない。業界の人たちが見ているチャンスを掴める場に挑むときに、本気になればいいだ」

が、彼は間違っている。

日頃から全力投球して、本気でかからないと、いざというときに実力は出ないのだ。そこそも実力がある彼は自分を過大評価して、「オレさまが本気出すときは、それなりの場だけだぜ」と思っているのだ。
裏を返せば、発表会で批判される。「何だあの芝居は?」でも、彼はこういう。「本気、出してませんから!」そうやって逃げられる。実は無意識に、自分を安全な場所に置いているのだ。

同じだ。僕らの世代と同じ。僕らの頃は何もしない。汗もかかない、努力もしない、夢も追わない。そうして、がんばる人を嘲笑する。自分は何もしてないから批判されない。夢を追わないから破れることはない。そして「現実は甘くないよ」と嘲笑、現実がよく分かった大人であるといいたいのだ。もの凄く楽して批判されない安全な場所にいる。それに対して今の子は夢を追っていはいるが、批判されないように「オレはまだ本気出してないから」という言い訳を用意しているのだ。両者とも同じ発想だ。

芳根は言う。「でも、本気でがんばった方が絶対楽しいし、

想い出になる」その通りだ。素晴らしい17歳だ。だからこそ、ヒロインの多香子役に選んだ。人の批判なんて関係ない。なぜ、安全な場所に隠れて傷つくのを怖れるのか? 汗を流し、涙を流し、夢を本気で追いかけてこそ、見えて来るものがたくさんある。本当の仲間と出会える。時代を超えてそうなのだ。「向日葵の丘」そんなテーマを伝える映画でもある。


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