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町おこしのための地域映画が成功しない理由?③ 「***市オール・ロケ」という宣伝は逆効果? [町おこし映画の問題点]

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映画を使って町おこし。日本各地でそんなチャレンジが続いている。地元で映画撮影がされれば、大きな宣伝になる。テレビ、新聞等の広告を出すより遥かに経済的で、それも長期間に渡って宣伝することができる。しかし、その多くのチャレンジが失敗している。特に問題が大きいのが宣伝である。

映画というのは上映すれば、映画館に人が来てくれるというものではない。テレビやラジオ、ネットや雑誌等で何度も宣伝。一般の人たちが「これはおもしろそうだなあ〜!」と思って初めて映画館に足を運ぶ。宣伝は重要だ。しかし、宣伝というのはなかなか難しいもので、映画を作った地元の方々は間違った方向にがんばってしまうことが多い。結果、素敵な映画が出来ても、一般の人たちに作品に興味を持ってもらえず、ヒットしない。つまり、町のアピールにならないことが多い。説明しよう。

完成した映画はまず、東京で公開されることが多い。ヒットすれば全国の映画館で上映される。地元は製作会社、或は宣伝会社に対して、いろいろ要望を伝える。会社側も多大な協力してもらっているので、なるべく要望を受け入れるようにする。そんなときよく出されるのが「***市オールロケ作品」というキャッチコピーを使ってほしいということ。だが、これは命取りになることを多くの人は分かっていない。

地元としては「わが町で撮られた映画であること。必ず伝えてほしい」という思いがある。「映画を観て、きれいな町だなあ〜と思っても、そこがワシらの町であることが分からなければ宣伝にならない。あれだけがんばって支援したのだから、それは伝えてもらわないと!」そう考える。一見、なるほど、そうだと思う人も多いだろう。が、これが、そもそもの大間違い。

そのキャッチコピーを一般の人。その町とは無関係の人が観たらどう思うだろう?「***市? どこにあんの? 何県? 聞いたことないなあ。そんな町で撮った映画にゃ興味ないよ」となる。考えてほしい。京都、奈良、横浜、或は北海道のような有名な観光地でロケしたのであれば、多くの人が興味を持つが、名もなき、小さな町でロケしたことは、一般の人の興味は惹かない。

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なぜ、映画は有名な観光地で撮影するか?といえば、多くの人が興味ある町だから、関心を持ち、映画を観に来てくれるから、観光地でロケするのだ。つまり、「***市オールロケ作品」というキャッチは宣伝にはならない。人々の気持ちを掴まないのである。にも、関わらず、地元は「ワシらの町で撮影した映画だ。何て誇らしい。それを全国に伝えよう!」思ってしまうのだ。

ここには大きな勘違いがある。地元からすれば「わが町でロケしたこと」を誇りたいが、外部の人からすれば「あーそう?良かったね」で終わりなのだ。「だから観たい!」にはならない。つまり「***市オールロケ」というコピーは宣伝ではなく「自慢」でしかない。それではアピールしない。

これが「京都、オールロケ」とか「函館市、オールロケ」と有名観光地であるなら、「へーーそれなら観たい」となるのだが、無名の町でいくらロケされても、人々の関心は惹かない。それどころか映画ファンが聞けば、こう思うだろう。「ああ、今、流行りのリージョナルムービーかあ。映画で町おこしって奴だな。どーせ、地元の名所案内をして、ストーリーそっちのけで町をアピールする詰まらない映画だ」と思われてしまうだろう。

そう、実はその手の映画が多い。地元が製作費を出したことで、シナリオやロケ場所にあれこれ口を出し、映画ではなく、地元のPR映画になってしまうことがよくある。そのために映画はヒットせず、評価もされない。映画ファンはそれを知っているので、無名の町でロケされた映画で、地元を強くアピールする作品は敬遠することが多い。

そんな現状を知らず。わが町で撮られたことを伝えることに地元は力を入れて、自身で首を閉めてしまう。「宣伝」というものの意味を勘違いしているのだ。もし、映画ではなく、テレビCMなら「美しい***市」をアピールする必要がある。そのためのCMだ。が、映画の宣伝は「町の宣伝」ではなく、「映画」の宣伝なのだ。その映画の宣伝で「町」の宣伝をして何になるか?ということ。

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分かりやすく言えば、その町で取れた野菜で作ったスナック菓子を売り出すとき。北海道産のジャガイモを使ったなら「北海道のスナック」といってもアピールする。北海道は人気ある町。イメージもいい。だが、「***市の野菜を使ったスナック」といっても、ほとんどが興味を持たない。**市を知らないからだ。そうではなく、そのスナック自体のおいしさをアピールすることが大事。「ん? これ美味しい! どこの野菜を使ってんだろう?」と思って始めて、それがどこの町かに関心を持つのだ。

映画も同じ。「****市オールロケ!」と告知するのではなく、映画の面白さをまずアピールすることが大事。感動できるのか? 笑えるのか? 泣けるのか? そんな映画の魅力を発信。まず、映画を観てもらった上で、「あーー感動した。いい映画だった。風景もきれいだったし、どこの町なんだろう?」と思って、始めて町に興味を持つのだ。

それを最初から、それも宣伝で「地元」をアピールしては、その段階で人々は関心をなくすのである。それが地元の人には本当に分かり辛いようで、何処の町でもすぐに「***市オールロケ」と宣伝で言ってほしいと言いがち。だが、それは大きなマイナス。

僕も地方を舞台にした映画ばかり撮っているが、宣伝でその手の表現は絶対に使わない。町の人から「ぜひ」と頼まれることもあるが、受け入れない。それは支援してもらった町のためにならないからだ。その辺を説明し、町の名前は宣伝では使わない。それより、映画がいかに感動的なもので、涙があふれる素敵な物語であることを伝える。その映画を観てくれれば観客は必ず、こう思う。

「映画もよかったけど、ロケ地もよかった。美しい風景。ぜひ、訪れたい」

そう思ってもらうために、僕は町の歴史を学び、町を勉強し、町を好きになってから撮影する。町の四季を1年がかりで撮る。でも、宣伝で町の名前は出さない。それは結果、映画への関心をなくせることだからだ。宣伝というのは「映画」を宣伝するものであり、「町」を宣伝するものではない。町を宣伝するのは「映画」なのだ。その映画の宣伝で「町」を宣伝したらアウトなのだ。

その辺が分からず「ワシらの町でロケした映画じゃ!」と宣伝し、そっぽ向かれる映画が結構ある。東京公開で映画館に来るのは、町の出身者ばかり。一般の人たちの興味を惹くことはない。お金をかけ、汗を流し、みんなでがんばって、自分で自分の首を絞めること。残念ながら地方ではよく行われている。

 続き=>http://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp/2015-05-14




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町おこしのための地域映画が成功しない理由?② 他力本願が町を滅ぼす? [町おこし映画の問題点]

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地方活性化のために、地元を舞台にした映画を作るという活動。その辺の相談をときどき受ける。町の人に会い、話を聞くと問題点が見えてくる。あるとき、ある町で町おこし活動をする年配の男性と話した。

「この町は観光地でもなく、有名な史跡や寺もないんです。でも、映画撮影がされれば町をアピールすることができる。観光客が来てくれる。『寅さん』や『釣りバカ日誌』のような映画が来てほしいんですよねー」

確かに全国公開される映画の舞台となれば、大きな宣伝になる。対費用効果も何億円にもなる。そんな映画撮影を誘致したいというのは分かる。が、先に上げたようなメジャー映画はそれなりに有名な町でしか撮影しない。本当に何もない田舎町で撮影して「次回作の舞台は***市」と宣伝しても、観客にアピールしないからだ。

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北海道とか、有名な温泉地とか、古都とか、それなりに絵になり、由緒ある町で撮影してこそ、観客はその映画を見たい!と思うのだ。そう考えれば、そんな大作映画のロケがその町に来る訳がない。が、その人は「そんな大型企業映画が来てほしいんですよねー」と訴える。

そこで映画界の事情を説明。有名な映画を誘致するのはむずかしい。でも、低予算の映画であれば、製作費の一部を負担するとか、安く泊まれる宿を提供するとか。いろんなメリットを提案すれば、興味を持つはずだと。だが、その人はこういう。

「低予算の、誰も知らない映画が来てくれても、あまり宣伝にはならないですよね? やはり全国公開される。有名俳優が出た映画の撮影でないと意味がないんですよ」

呆れた。自分の町には何もないことを知りながら、大手映画が来てくれることを願う。低予算でもそれなりの宣伝に繋がるのに、一発で大きな成果が上がる大手でないと嫌だという。彼は続ける。

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「それとも国が補助金や支援金を出してくれて、それで映画を作ればいいんですけど、なかなか、そんな制度もないんですよ」

???? その人の話を聞いていると、自分たちは何もせず、国や映画会社に何かしてくれ!といっているように聞こえる。自分たちで努力すること。何かないのかと訊くと、

「いやーワシらもがんばってますよ。地元出身の議員先生に、映画製作の補助金はないか? 何かそれなりのものを持ってきてくれないか? 何度も陳情に行きました。映画会社に資料を送って、ロケをお願いしたこともあります」

んーーーだんだん、イライラしてきた。で、こう訊いた。自分たちで製作費を集めて、映画を作ろうとか、一部製作費を投資するから、ロケに来てほしいという交渉はしないんですか?

「だって、この町は金ないから、誰もそんな余裕はないよ。地元産業はダメだし、工場誘致も失敗。農業もダメだし、あとは観光で稼ぐしかない。そもそも、金があったら、映画なんか誘致しないよー」

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ダメだ!!! その人の考えを一言でいうと「他力本願」自分たちの町は経済的に大変だから、国や映画会社が地元で映画を作り、町の宣伝をしてほしいと言っているのだ。そして、自分たちは金がないので何もできない。哀れな存在だと主張する。何の努力もしていない。

その町で他の人たちとも話をしたが、ほとんどが同じ考え。次第に分かって来た。その町は経済的に大変といいながら、田んぼの中に豪華なコンサートホールがあったりする。他にも美術館があるが、客はほとんどいない。でも、維持費が大変で、それも町の財政を苦しめているという。これで分かった。

つまり、この町は10年ほど前に、代議士さんたちに頼み地元活性化のために、コンサートホールや美術館を建てたいと陳情した。それが実現、80%近くが国の補助金で立派な建物ができた。が、客は来ない。維持費が大変。どーしよう。映画で町おこしが流行しているらしい。大手の映画が来てくれれば宣伝になる。うちの町の来てくれないかな? よし、議員先生に頼もう。....という流れなのだ。

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その町に限ったことではない。多くの地方は自身で努力せず、地元の議員に陳情し、国の補助金や支援金をもらおうとする。が、美術館を建てても、建設時にゼネコンが儲かり、多少は町も景気がよくなるが、完成すれば維持費で苦しむ。そこまで考えずに流行りに乗ってしまう。国や議員に頼るばかりで、自分たちで何かをしようという気がない。

「いやーそんなことないですよ。議員先生にお願いに東京まで何度も行きましたよ。仕事休んで皆で。大変でしたよ〜」

もー嫌だ。考えれば自分たちで映画を作ることだってできるのに「補助金だ」「大手の映画だ」なんていっているからダメなんだ。が、その人がそんな考え方をするようになったのも分からないではない。

日本の行政は、中央で決め、それを地方に押し付ける。地方は考えなくてもいい。政府が決めたことを守っていればいいというシステム。黙っていても中央から補助金や支援金がもらえるが、決められた使い方しかできない。つまり、何十年も間。言われたことしかしていない。だから、何かあれば、陳情して、金を出してもらう。国や映画会社に何とかしてほしい。と頼むことしか思いつかないのだ。

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もちろん、自発的にいろんなことを考えて実践している町もある。が、他力本願で自分たちは何もしないで、「困ったなー」と言っている町も結構多い。町おこしの問題だけではない。就職を控えた若い人たちも同じ発想をしている。自分は努力せず。何ら特別な技術や能力がある訳でもないのに「就職は有名企業がいいなー。誰も知らない会社に入るのは恥ずかしい」「どこか、オレを入れてくれる大手企業はないかな」なんていっている。

同じパターン。子供の頃から与えられたことをするだけの教育を受けて来たからだ。教育では言われないことをすると注意されることも多い。だから、与えられたことだけをする。何度も書くが「考える力」を育てない日本の教育。そんな子が大きくなると、先の年配男性と同じ発想になるのだろう。その人。最後にこういった。

「監督さん。どこか大手の映画会社をまわって、この町で映画撮影してくれるところ探して来てくれませんか? ワシらがいうより、効果あると思うんですよ」

 どこまで行っても「他力本願」とても映画作りまで行かない....。町おこしもむずかしい。でも、これが多くの地方での現実なのである。


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町おこしのための地域映画が成功しない理由?①キャスティング [町おこし映画の問題点]

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地方自治体や町のグループが中心となり、映画ロケを誘致して町のアピールをしよう!という取り組みが各地で続いている。僕も地方を舞台に映画を撮り続けているので、ときどき相談されるが「それではダメ。必ず失敗する」ということが多い。彼らは映画で町をアピール、観光客を呼んだり、町の魅力を全国に伝えたいというのに、それには繋がらない努力ばかりしているからだ。

要因はいくつもあるが、そんな中から今回はキャスティングについて説明する。ある町で映画を作りたいという相談を5年ほど前に受けた。マイナーな田舎の市なので、大手映画会社は見向きもしてくれない。だったら、自分たちで映画を作ろう!と考えた。そこの関係者と縁があったので、相談にのった。

市役所の大会議室に、町の顔役、実力者、観光課の職員、商工会議所の代表、町では最大手の工場の社長、婦人会の幹部等、30人近くが集まった。彼らの希望は先に上げたように、映画による町おこし、全国へのアピールだ。そこで具体的な希望を聞いた。ある年配男性が答える。

「やっぱり映画なんだから、スターを呼びたい。高倉健がいいなあ」
「だったら、女優は吉永小百合だ」
「そーだなー、きれいどころをズラッと並べた映画にしようぜ」

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この段階で不安になった。で、質問した。今回の製作費をどのくらいに考えているのか? だが、誰も答えない。もちろん、彼らはプロではない。予算と言われても困るだろう。そこで説明した。

例えば、健さんが出てくれるような映画を作るのなら、3億円以上の予算が必要。きれいどころがズラーなら5億円以上を考えてほしい。と、すると、先の年配男性が、

「そんな金どこにあるんだよ! バカなこと言ってんじゃないよ」

その言葉を聞き、映画をどう作るか?ではなく、映画作りの基本から説明していかねばならないことを感じた。「映画を作りたい」といい、相談に乗ってほしいといわれ、僕は自腹で東京から電車で1日近くもかかる田舎町まで来ているのに、彼らは映画作りにのことをほとんど勉強していないことが分かった。

そこでまず、高倉健さんのギャラだけでも膨大な額。それで別の映画が1本作れる額であること。もし、本当に健さんに出てほしいのなら、それだけの予算をどう捻出するか?を考えるのがスタート。でも、3億円以上の製作費を用意できないのであれば、町で捻出できる額で映画を製作。その範囲で呼べる俳優を選ぶべきということ。

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そう説明すると、場内はざわついた。「映画ってそんな金がかかるの?」「健さん呼べないんなら意味ないな」「吉永小百合のギャラも高いのかしら」そんな声が聞こえた。もう、先の言葉「そんな金どこにある」で分かったが、彼らには映画作りということに全くリアリティがないのだ。もちろん、カタギの方なので当然なのだが、この場は真面目に「町おこしのために映画を作る」ことが議題。

にも関わらず、そんな言葉が出るということは、「健さん。うちらの町の映画に出てくれたらうれしいなー」という夢を語っただけということなのだ。それが小学生の発言なら分かるが、町の実力者の1人で、町のアピールのための大事な会議で、夢を語り。「そんな金どこにある」なんて答えをするというのは、どういうことか?

その方は決して不真面目ではなく、真剣に映画による町おこしを考えて参加しているのだと思うが、そんな答えをするのは、映画製作にあまりにもリアリティがなく。現実問題として考えることができないということなのだ。そして、映画雑誌をいくつか読めば、分かる映画界の情報を仕入れることもなく、この会に参加したのだ。

まず、そこに大きな問題を感じる。もし、これが映画ではなく、化学工場誘致であれば、その工場は何を作り、どんな排出物を出し、公害はどうか? そして、どのくらいの収益を町に落とすか? 等。工場と製品について勉強するはずだ。ではないと、あとあと大変なことになる。


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にも関わらず、その人は映画についてまるで勉強もせず。自分の夢を語り。「そんな金どこにある?」と言い出す。他の人たちの発言を聞いても近いものが多い。つまり、この町の人たちは「映画ロケは町おこしになる」と聞いて「そりゃいいやー」と盛り上がり。ほとんど勉強もせずに、顔役が集まり、実業家たちがそこで単なる希望を語ったということなのだ。

しかし、そのあとに出た発言も驚くべきもの。僕の映画ではロケ地出身の俳優さんに出演してもらう。そのことで地元も盛り上がり、その俳優さんも張り切ってくれるからだ。その話をすると、別の男性がこう言う。

「いいねー。だったら、出演者は全員、この町出身の俳優にしよう!」
「そりゃ、いいわー。そうしよう!」

場内は盛り上がった。が、僕は頭を抱えた。事前にその町出身の俳優を調べていたが、名の通った人は2人だけ。無名の俳優を調べても、その町出身の俳優は何人いるのか? 質問した。

「そんなことは知らねーよー。でも、この町で撮るならこの町出身の俳優にしなきゃー」

頭が痛くなった。だったら、地元の劇団か何かを使って映画を撮った方がいいかも? 何より、キャスティングというのは、その役に合った俳優を選ぶことが大事。その前に「この町出身」という規定を作ってどーする? 例え、出身俳優を何十人も集めても、役に合っていない俳優をキャスティグすることになる。それはもうクオリティの高い映画はできないということ。

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何より、俳優が全員、その町出身ということは、映画のプラスにはならない。「へーーそれは凄い」と思う映画ファンはいないだろう。喜ぶのは地元の人だけ。しかし、どこの町で相談を受けても同じ発想の人は結構多いのだ。つまり、映画を使って町をアピールするというテーマから外れ、自分たちが楽しい、盛り上がれることをしたい。

健さんを出演させたい。きれいどころをズラー。地元出身俳優ばかりで。これらは皆、地元の人がそれだと面白いなー。撮影も楽しみだ。という思いから出た発言だ。町をアピールすることは置き去り。「この町に健さん来ればいいな」「地元出身者ばかりだと、皆、知った顔がいて盛り上がる」そういう発想。

3時間を超えて、映画作りとは何か? 地元をアピールするとはどういうことか? 映画はなぜ金がかかるか? どう回収するか? 等を説明したが、集まった方々は「よく分からんなあ〜」という顔。町の財政が切迫し、何かしなければという危機感はお持ちであり、だから、映画で町おこしを考えているはずなのに、そこはやはりリアリティがないようだ。

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結局、その町で映画製作は行われなかった。そして、この記事を読んだ多くの人は「その連中がバカなんだよ」と思うかもしれない。或は「そんな奴、田舎でもいないだろう?」というかもしれない。が、これが地方の現実。その町の実業界では実力者でも、映画に関してはリアリティが持てず。夢を語ることしかできない。こんな方々と僕は数多く、出会った。

けど、これは彼らだけの問題ではない。俳優志望、映画監督志望、或は作家希望の若者も同じ。華やかな芸能界を夢見て、アイドルと仕事出来たら楽しーだろうな。女優さんと仲良くなれるかも!そんな憧れを抱き、専門学校や演劇学校に通う。

が、実際に俳優や監督がどんな現実の中で仕事をしているのか? その厳しい環境を知る者は少ない。それを調べたり、知ろうとする若者も少ない。やがて、卒業。でも、仕事はない。具体的な方法論を持たず、憧れているだけでは目的は達成できない。そんな若者たちと、その町の顔役たちは同じなのだ。

もし、真剣に映画を作り、町おこしをし、全国にアピールするなら、他の事業と同じように、その分野を勉強し、理解し、夢を語るのではなく、現実の中で何ができるか?をまず把握することだ。その町の存亡のための戦い。その手段が「映画作り」というだけのこと。その映画を「夢」で語ってはいけない。


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町おこしのための地域映画が成功しない理由?(序章) [町おこし映画の問題点]

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僕の映画は都会でロケをしない。これまでの作品は全て地方。それも有名な観光地ではない。しかし、それぞれの町には知られざる美しい風景があり、心を癒す素晴らしい景色がある。それを背景に物語を撮りたくて、地方で映画を撮り続けている。それらの映画は有名俳優が出演。日本全国の映画館で公開。必ずアメリカ等の世界の映画祭で上映される。


そのため、いろんな地方、自治体等から相談を受ける。というのも、多くの地方は赤字続きで苦戦している。新しい産業を起こすのも大変。一番、効率的なのは観光。でも、古い遺跡や歴史的な建物もないので、観光では勝負できない。ただ、映画の撮影があれば、そのロケ地としてアピールできる。NHKの大河ドラマの舞台に選ばれれ、大挙して観光客が押し寄せる。

ドラマでなく、映画でも効果は大きい。観光客がいきなり倍増するということはないが、巨額の宣伝効果となる。全国の映画館で地元の風景が映し出される。映画自体の宣伝がテレビや新聞で流れる。映画雑誌、情報誌で作品が紹介。ネットでも拡散。多くの人が映画を見る。

さらに、DVDになり、衛生やケーブルテレビ、地上波でも流れる。テレビと違って映画は息が長い。テレビドラマは1年も経つとタイトルさえ忘れてしまうが、映画は何十年経っても覚えていることがある。30年前の映画をもう一度DVDで見ようと思うこともある。そんな意味で映画のロケ地に選ばれれば、その町がもの凄くアピールされる。対費用効果を考えれば数千万円から数億円になる。

これが自前で宣伝キャンペーンをすると、もの凄い費用が必要。CMを作りテレビで放送するには何千万円。それを1年放送し続けるのは莫大な予算がいる。駅にポスターを貼るだけでも何百万。それも期間限定。新聞広告だって、大手新聞、一面広告なら1000万円! それも続けなければ効果は薄い。

だが、映画が来てくれれば、地元は撮影に協力するだけで、何千万円もの宣伝効果を上げることができる。だから、多くの町が映画のロケを求めている。実際、長野のある町はそれで大成功。観光客が増え、50億もの宣伝効果を上げた。また、収入だけでなく、町の知名度が上がる。町の名前や魅力、産業、特産品を全国に伝える等の大きなメリットもある。

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そこで多くの自治体がフィルムコミッションを設立。ボランティアとして映画撮影に協力。わが町で映画を撮ってもらおうと努力を続けている。或は、製作費を一部出資。さらには製作費を全額集めて町が中心となって映画製作を行なっているところもある。

ただ、多くの町が失敗している。地元で上映しただけで終わり、全国公開どころか、東京ですら上映されずに終わる。これでは町のアピールにはならない。なぜか? いろんな町の人たちから相談を受け、或は映画作りをしてみて痛感した。もの凄い勘違いをして撮影協力をしていたり、何と町をアピールできないような努力をしているからだ。彼らが「これはプラスになる!」と提案してくることの多くが、実はマイナスになることばかり。

だから、地域映画は失敗。ヒットもしないし、評価もされないことが多く、残念で仕方がない。その背景と問題点をシリーズで紹介して行きたい。

 続き=>http://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp/2015-05-11-2



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映画で町おこし。十分に効果があるのに、多くの自治体が失敗している理由? [町おこし映画の問題点]

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そもそものきっかけは大林映画だった。「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」等の大林宣彦監督が古里・尾道を舞台に撮った青春映画が大ヒット。感動した若い人たちの多くが尾道を訪れ、ロケ地巡りを始めた。そんな頃から、映画のロケ地になると町がPRでき、観光客がたくさん来ることが分かり、各地の自治体がフィルム・コミッションを作り、映画ロケの誘致を始めた。

最近ではロケ協力だけでなく、自治体が出資するところもある。ある町では映画撮影が続き、ロケ地が観光地化。多くの人が訪れて50億円を超える宣伝効果となった。もし、これがCMを作り、テレビで流したとしたら、1本で億単位の出費が必要。それが映画の場合はロケ協力するだけで、町が全国的にアピール。観光収入が増える。まさに濡れ手で粟。

そのためにフィルムコミッションはかなりの数ができたが、尾道や先の50億円収入の町のように成功しているのは極々一部だけだ。何が違うのか? 先の記事でも書いたが、ほとんどのフィルコミは映画製作というものを理解していないことが一因。

まず、役所の職員がフィルコミスタッフを兼用。忙しくて、対応できないという側面。僕自身の経験だが、ある町のフィルコミに連絡したとき、窓口は市役所の観光課なのだが、もの凄く対応が悪かった。「この忙しいのに何なの?」という感じ。「現在、映画を企画しているんですけど、フィルコミとしてどんな協力をしてもらえるでしょうか?」と訊くとこうだ。「製作費が集まり、シナリオが出来て、正式にスタートしたら、担当者を紹介します」........何それ? その前段階で、シナハンが必要だから来たんだろ?と思うが、この町のフィルコミは非常に評判が悪いこと。映画界では有名なので、やはりなあ....という感じ。

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その町は映画ロケなど全くなく、大きなチャンス。なのに役所の仕事が忙しいからあからさまに断ろうとしたのだ。以前、舞台挨拶で訪れた別の町では、いきなり地元観光課の職員がやってきて「監督。次回はぜひ、うちで!」と強引に街の観光地を連れまわられた。それほど各地では映画ロケに大きな関心を持っているのだ。そして誘致に努力(うまく行けば50億分の宣伝!)なのに、その町はまるでやる気なし。

理由は多くの町が映画で町おこしにやっきになっても、まだまだ、その効果を理解しない人が多いこと。また、役所の職員の場合は、町の利益よりも、職員が自分の仕事が忙しくなることを嫌う傾向がある。フィルコミができたのも、市長あたりが、今流行の映画ロケ誘致をしようと、あまり内容も分からず設置してしまう。たいていは観光課職員が兼業。映画好きが嵩じてフィルコミをスタートした訳ではない。「これ以上、仕事を増やしたくない!」と思っている。だから、口実をつけて断る。

そんなふうに今、フィルム・コミッションは数多くあるが、まともに機能しているのは10カ所もないだろう。そして、地元が「***公園でロケしてほしい」「****大根を劇中で紹介してほしい」とか、いろんな要望を出してくる。映画スタッフがうんざり。映画は物語ありき、宣伝を入れたら作品クオリティが下がってしまう。スタッフが一番嫌うこと。そうして地元はせっかくの大きなチャンスを潰してしまう。

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ある地方映画では、町の祭り。神社で行う踊りを延々と紹介していた。5分以上。頭から終わりまで。ドキュメンタリーかと思った。物語には何ら関係がない。本来なら冒頭、10秒で終わり。それがなぜ、延々と見せたか? 監督に訊くと「お世話になっている方が祭りの実行委員で、記録のためにも全部撮影してほしいと頼まれた」そうだ。

それはドキュメンタリーでやることだ。また劇映画なのに引き受ける監督も問題。その映画は全編、町の見所と名産品紹介が多々有り。映画館で入場料を払って観るものとは思えなかった。「***町の観光案内映画」と銘打ち、アンテナショップのモニターで流してほしい。

何度も書くが、映画で観光地や名産品をストレートに紹介してもアピールはしない。感動的な物語があってこそ、そこに映る町や風景が心に残り、その町を訪れてみたくなるのだ。その辺を地元協力者は理解せず。監督やプロデュサーもまた「協力してもらっているのだから.....」と物語が壊れる要望を平気で受け入れる。結局、PR映画となり、東京ではひっそりと上映されて、多くの人がタイトルも知らないまま終わる。

映画を使い、町をアピールすることは可能。でも、地元と作り手が自ら映画を貶めている限り無理。もちろん、1本成功すれば翌年から観光客が団体で押し掛ける!ということはないが、安価な方法で大きなメリットを求めることはできる。映画だけではない。地方の町おこしには似たようなものが多い。「そんなものを見に都会から観光客は来ないでしょう?」という施設を何億もかけ作り、若者が喜ぶ懐かしい建物を破壊してしまう。なのに「なぜ、観光客が来ない?」と首をひねる。

成功しないということは、何かが間違っているのだ。その原因が分からずにいる。同じ失敗を繰り返す人があまりにも多い....。




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