向日葵の丘ー監督日記 あと8分! [編集]

昨日までのタイムを出してみた。
前半1時間12分。後半1時間11分。
合計2時間23分
目標2時間15分
残り8分をカットすれば、目標達成。
4日前は2時間44分だったことを思うと
ずいぶん、短くなったものだ。
もちろん、もう1シーンまるまるカットはできない。
そうすると、ストーリーが破綻してくる。
観客が気づかないくらいに
1秒、1コマをあちこちのシーンから切り
5秒、6秒と稼いで行くしかない。
本日はその作業をしながら、
昨日DVDで見て、気になった箇所を直して行く。

向日葵の丘ー監督日記 秋の気配 [編集]

エアコンを着けっ放して寝た?かと思ったほど、寒くて目が覚める。今朝の気温は34度。でも、ほんと涼しい。いよいよ夏も終わりか? でも、そう思うと何か寂しいものがある...
昨日は後半戦もDVDにして大型モニターで確認した。本日は問題箇所を直して行く。クライマックスのあのシーン(映画館内のあれ)を入れて全編を通して見たのは昨夜が初めて。いくら感動的なシーンでも前後の流れを遮ると問題なので心配だったが、これもうまく行った。
そして、8ミリ映画のタイトル。美術部さんから案が送られてきた。これがもの凄く素晴らしい! 良すぎて困るくらい。これも仕上げて、8ミリカメラで撮影。さらにハイビジョンで再撮影して本編に入れる。音楽家さんがもう作曲を始めてくれているので、こちらの作業も急がねば。完尺が出ないと、曲の長さも決められないのだ。
あと、昨日、参考資料を探したCM。これも作業しないといけない。結構、面倒そうなことが分かる。事前にスタジオ作業が必要かもしれない。そして残るは短縮作業だ。昨日は1分くらい縮めたはず。のちほど正確な時間を伝えるが、それでもあと10分は切らねばならない。ほんとここからは矢吹丈の減量となる。

向日葵の丘ー監督日記 後半戦を大型テレビモニターで見た! [編集]

2時間かかって書き出し、2時間かかってDVDに焼いて、大型のテレビモニターで後半戦を見た。
いろいろと、直すべきところを発見したが、それより、何より、「また、いつものパターン?」と言われると思うが、やはり、凄かった.....
後半の1時間は、ほぼ泣き通し....ところどころ、声を上げて泣きそうになる。もう、見ていてドラマじゃなくなる。何だろうこれは....こんなことを書くと、「自分で監督して自慢?」と思われそうだが、そうではない。本当に俳優陣が素晴らしい! ほんと打ちのめされる。
主人公の3人を始め、将太兄ちゃんも、支配人も、奈緒さんも、とっとこ3人娘も、皆、芝居を超えている......何なんだろう? テレビドラマの芝居ではない。皆、魂の叫びというべき表現。それが心を打つ。
何でこんな凄い作品。できちゃったんだろう?と思うほど。そして何より考える。人生とは何か......10年の単位では分からない悲しみや憤り。憎み合い、妬み合い、でも、人生は素晴らしい。それを伝える作品になりそうだ。
でも、その前に、もう少し短くして、粗をなくさないと、早く、皆さんにお見せしたい!

向日葵の丘ー監督日記 我が青春の松田聖子を探せ!? [編集]

本日、午後からはデータの書き出しと、DVD焼きでパソコンが使えず。その間にやるべきことを思い出す。(暑さでボーーとしていてはいけない!)そう、1983年のCMを作らねばならないのだ。映像はいらないので音だけ。本物は著作権があるので、ややこしく、高いので、面倒だが作らねばならない。
そのための参考にするために、CMを探す。といって広告代理店は協力してくれないし、CMはさすがにDVDになっていない。でも、こんなこともあろうかと? 1983年当時のCMを当時から(30年前!)かなり個人的に録画しているのだ!! (本当に当時から、この時代を舞台に映画を撮りたい!と思っていたので。。)まずそのライブラリーから探す。
が、一番欲しかった松田聖子の****のCMがない。今でもキャッチコピーを言えるほどなのに。でも、考えたら、今の時代YouTubeという便利なものがあるのだ。それで検索すると、僕が録画したものどころではない量の映像が出て来た。特に松田聖子に関してはもうマニアとしかいいようがない完璧なCM集があった。2時間近くあるので、それをひたすら見ていたのだが、やはり、凄い。。。。1980年代は松田聖子の時代であったことを痛感した。
僕は当時、聖子ファンという訳ではなかったが、レコードは全てレンタルで借りてテープにダビング。聴いていた。そしてCMは聖子のオンパレード。ファンでなくても「我が青春の松田聖子」と思えてしまう。そのひとつ、ひとつの歌で当時の思いでが蘇る。そのCMのひとつひとつも、知ってる。これも知ってる。これは1985年。これは結婚したあと。これはデビュー直後と、全部分かる。
繰り返すが、聖子ファンではなく、アイドルおたくではない。でも、松田聖子は青春時代を共に過ごして来たクラスメートのような存在なのだろう。歳はひとつ下になるが、学年でいえば同級生だ。歌を聴いても、CMを見ても、懐かしいアルバムをめくるような気がする。
その聖子が「天国のキッス」を唄っていた1983年の夏が、今回の映画「向日葵の丘」の時代だ。が、残念ながら、彼女の歌は流れない。使用料が高いだけでなく、手続きがもの凄く大変! というのもあるが、今回は当時の歌や映画の映像。テレビ番組の画面等を一切使わずに83年を再現するというのがテーマ。
だから、画面に聖子は出て来ないが、登場するキャラクターは皆、聖子ちゃんをテレビで見て、レコードを聴いて、女子高生は皆、聖子ちゃんカットなのだ。という訳で、CMを探すだけで、夕方になってしまった。もし、次回作というのがあるのならば、いや、次回でなくてもいいが、いつか、松田聖子の歌流れまくりという日本版「アメリカングラフィティ」のような映画ができないかな?と思ったり。
ま、楽曲の使用量だけで*千万円? それなら1曲だけでもいいか? もし、1曲だけを選ぶなら。。。。。んーーーー、個人的に言えば、「赤いスイートピー」でも「制服」でもなく、やはり「マイアミの午前5時」だ。これも1983年の歌。マイアミビーチに行ったとき、この歌を持って行き、本当にビーチで聴いたほど。てなことも思い出す。「わが青春の松田聖子」一度ゆっくりと思い出したい。

向日葵の丘ー監督日記 編集作業は今も30年前も同じ? [編集]

本日も36度! 昨夜は風もなく、さすがにエアコンを入れてしまった。夏になって初めて。ここまでがんばったが、ベッドに横になっているだけで汗が吹き出してきた。本日も暑い、、、が昼間はエアコンは入れない。編集作業をするともの凄く集中するので、暑いのを忘れることが多いから。でも、さすがに扇風機はつける。
朝起きてからメール確認とFB。ツイッター。一通り更新して編集作業。そしてランチと夜飯意外は作業。気づくと夜中。ほんと何もするヒマがない。映画監督という仕事は世の中の移り変わりを知ることがとても大事なのに、ここ数ヶ月、引きこもり状態だ。
東京新聞を取っているのだけど、たまるばかりでなかなか読む時間がない。トイレに入ったときに読むようにしているのだ、まだ、今週のものまで行かない。テレビも「報道ステー」と「モーニングバード」は毎日タイマー録画しているのだが、確認するとハードディスクがいっぱいで、もう、何週間も録画されていない!てなことも多い。
なので、飯ときにはなるべく録画したニュースを再生したままにする。が、1週間前のお天気ニュースを見ていると空しくなる。が、今は編集第一だ。こんなこと昔もしていたなあ。と思い出す。学生時代。8ミリ映画を作っていたときも同じだった。
あの頃はもちろんデジタルではなく、アナログの8ミリフィルムだが、やることは同じ。当時はコンピューターもないので、なかなか作業が大変で、半年くらい編集を続けていたこともある。朝起きてから寝るまで。30年前の話。何だか今も同じことをしているので、不思議な気分。
ただ、デジタルになったからと、格段に作業が早いということはない。編集に関してはほぼ同じだ。1秒、1コマを切り取り繋ぐ作業は変わらない。1分=60秒=43200コマを削るのに1日がかり。それは30年前も今も同じ。
出来た映画は2時間くらいで見ちゃうんだけどね〜。

ランチにラーメン食べて失敗! [編集]

昼飯に、隣駅のラーメンを食べたが
失敗。
とんこつ。というより、ミルクラーメン
夜中まで胃がもたれた。。

向日葵の丘ー監督日記 再び前半の短縮作業。 [編集]
向日葵の丘ー監督日記 前半をテレビモニターで確認 [編集]

まだ、目標値までは行っていない。どこをカットすればいいか? 確認するために前半戦のデータを書き出し、さらにDVDに焼いてテレビモニターで見てみた。
パソコンモニターで見るのと違い、テレビで映画劇場を見ている気分になり、違って視点で見れる。1時間14分ほどの前半はいかに?
監督としての客観性を持ちながら、観客の視点でも見なければならない。さあ、最終版に限りなく近いバージョンの初上映だ。
各シーン。短くしたのでテンポがよくなり、スピーディで見やすい。いろんな部分を注意しながら見るが、つい物語に引き込まれそうになる。おっと、危ない!でも、これはいい兆候。
次第に「多香子、がんばれ!」「みどり、負けるな」「エリカ、いいぞ!」と主人公たちを応援している自分に気づく。やはり、若手俳優の3人。とてもいい!
そして今回、感じたのは、ロケ地の美しさがしっかり出ていること。静岡県のとある街。1983年どころか、1960年代といってもいい懐かしい風景。いつも僕が気にする「街感」が今回はとても良く出ているのがうれしい。
映画ではまず舞台となる街をしっかりと紹介できなければ、何も始まらない。が、これが意外にむずかしい。「東京」といえば知ってるでしょう?みたいな感じで東京を描く映画が多い。地方も同じだ。それぞれの個性が出てないことが多い。
街は映画のもうひとりの主人公。それをしっかりと描けないと物語は台無しになる。大林宣彦監督の「尾道」シリーズ。倉本聰さんが脚本を書いた「北の国から」それぞれの街を訪ねたような気分になる。それが大事だ。
そして気になっていた1983年感。これも結構出ていた。それを再現するには莫大な予算が必要なのだが、今回はそこまでの費用はない。が、あえて金のかかることしないで、時代感を出すことを考えた。それもうまく行っているようだ。まだ、これから音や音楽をプラスするのだけど。
そして、多香子たちは無事に文化祭で****できるのか?というところで「つづく」えーーーここで終わり? 後半はどうなるの? でも、誰にも文句はいえない。僕自身が作業せねば後半はまだ見れないのだ。
果たして多香子の運命は? そしてみどりは、エリカは? さらには、30年後の多香子は? 彼女を古里で待ち受けているものは何か? 全てのエピソードが、クライマックスに向かって、もの凄いスピードで走り出す。
全ての人たちの運命を乗せて「向日葵の丘」は涙のラストに集結する、と僕は分かっているのだけど、続きを見るためには、また書き出しに2時間。DVD焼きに2時間をかけねばならない。
でも、前半はとにかく行けそうだ!

向日葵の丘ー監督日記 この映画が伝えるもの。。 [編集]

すでにモノローグは本編に入れているが、一カ所。忘れていたところがあり、そこをモノローグに合わせて再編集してみる。映像と、モノローグと、音楽が一体となり世界観を作り出さねばならない。これがかなりいい感じ!単調な短縮作業が続いていたので、特にうれしい。世界観が編集と音楽で構築されていくのを感じるのは、この作業の唯一楽しいところだ。。。

いよいよ、未編集のシーンに!
短縮作業はストップ。いよいよ、最後の未編集シーンにかかる。ここは8ミリ映画パートが完成してから編集したかったので手つかづで置いてあった。今回の作品で最大の感動シーンでもあるので、いい加減な状態や仮の形で編集してはいけないと思った。
主人公の3人が8ミリ映画を観るシーン。その頭だけ見たが、、、、、凄い! 3人の名女優が、演技じゃない。演技を超えている。。。。。もうドキュメンタリーか?という、素直な、表情、、、、
このまま1人でそんな凄い映像を見ていいのか?という、罪悪感さえ感じる。さあ、そのシーンを編集だ。その前にストレッチ、背中を延ばして、から、一気にやるぞ!

正午からスタートした未編集シーンの編集。4分ほどのシーンに5時間ほどかかって一応、形にした。三大女優共演のこの場面。仮の音楽を入れて、通して観てみた。
この場面撮影のときも、現場にいたスタッフ、キャストが皆、号泣したシーンだ。取材に来てくれた映画ライターさんから「監督、あれは汚いですよ! 誰だって泣きますよ」とまで言われた。主人公たちを演じる3人の女優たちも演技ではなく、本当に号泣してしまったほどだ。
そのシーン。ようやく編集をした。現場で泣けたからといって映像にして泣けるとは限らない。そしてこのシーンは少々、技術を伴う。果たしてうまくいくだかどうか? 少し心配だったが。。。。。。。
凄い。涙が溢れた。何なんだこの感動は? もう、圧倒的としかいいようがない、悲しみの涙ではない。感動の涙だ。でも、何の感動なのか?
何といえばいいのか? その場面を見ていると、人生て何なのか? 生きるとはどういうことなのか? と思えてくる。平凡に差し障りない人生を送る人。苦しみ、傷ついて死んで行く人。優しかったあの人。いろんなことを教えてくれた近所の人。様々な人と関わり、人は生きて行く。
恨み、嫌い、妬み、憎しみ。そして愛し、応援し、支持、助け合い、理解し合う。時間が過ぎ、月日が流れ、死に行く人、生まれる来る子供たちがいる。老い行く大人たち。育ち行く子たち。人はそれを見つめ、また人生とは何かを問われる。
そんな中で人は何を求め、探すべきなのか? その場面を見ていると、そんなことを考えてしまう。そう、それこそがこの映画「向日葵の丘」で描きたかったこと。それがそのシーンに集約されている。
そして、溢れる涙のあと、きっと、伝わるはずだ。「向日葵の丘」はすぐそばにあるということが、、、いよいよ、編集作業も終わりが見えて来た。。。

向日葵の丘ー監督日記 モノローグパートを編集 [編集]

全長2時間26分。あと11分カットして、2時間15分にしたい......

前半を書き出す。写真の方が今回も泣かせてくれます!
本日も38度

ランチ
