1年前の今頃。「向日葵の丘」英語字幕版を製作 [思い出物語]

1年前の今頃。正確には夏真っ盛りの頃
「向日葵の丘」英語字幕版を製作していた。
秋にロスアンゼルスの映画祭招待が決まっていたので
かなり焦って作った。

それが1年前。
現在は、TSUTAYAでDVDがレンタル中。
英語字幕は入っていないけど。
メイキングが特典としてついています。
芳根京子さんを中心とする撮影時の記録
かなり泣けます。

今年もいちばん泣ける映画「向日葵の丘 1983年夏」DVD。amazonで再び完売間近!お早めに? [DVD発売]
1年前の今頃ー「向日葵の丘」常盤貴子インタビュー。 郵便局で売っているこの雑誌に! [思い出物語]
映画「青い青い空」主題歌を歌う、あべさとえさんが昨日のライブでDVD発売の告知! [青い青い空]

映画「青い青い空」主題歌を歌う、
あべさとえさんが
昨日、都内のライブで
DVD発売の告知をしてくれました!
さとえさんは僕の初監督映画「ストロベリーフィールズ」の主題歌も歌ってくれた
シンガーソングライターです。
11月22日にはワンマンライブがあります。
あべさとえさんブログ=>http://abesatoe.net

1年前の今日。あるイベントで「向日葵の丘」の告知。 [思い出物語]
「夢はしょせん夢。世の中甘くない」という考えは違う。「やればできる! 夢は叶う」という話。 [【再掲載】]

(再掲載)
こんなコメントを頂いた。
「日本の業界の多くは大手が幅を効かせ、中小を抑圧して、自分たちだけが暴利をむさぼる構図があるけど、映画の世界も同じなんですね」「世の中、こうしたもの。しょせん強いものが勝つようにできているんだ」
人は汚い裏側を知ると失望し、絶望し、諦めたり、努力をむなしく思ったりしがち。でも、そんなふうに考える背景は何か?と考えてみると、何度も書いてきたけど、やはり日本の教育にあるんじゃないだろうか? 暗記中心。考える訓練があまりなく。与えられたことを確実にこなすことを目的とした教育。
要は優秀なサラリーマン育成が目的。
上から言われたことを迅速に確実にこなす能力が高い人材を選びだすため。だから、多くの日本人は上から与えてもらわないと指示や命令をもらわないと、動き出せない。その環境が理不尽なものや厳しいもであるとき、自分で分析して、自ら目的を作り、突き進むというのに慣れていない。

つまり、勉強や仕事ができる環境があった上で、
与えられたことを確実にこなすという訓練しか受けていないので、魑魅魍魎の世界や断崖絶壁を垣間見ると、すぐ絶望して諦めてしまう。でも、もともと現実なんて厳しいものであり、大自然だって公平ではなく、弱肉強食の世界。その中でどうやって生き抜いて行くか?が生物の戦いのはず。
そして、どんな厳しい状況でも、不可能に思われる事態でも、考えて、考えて、考えれば必ず方法は見つかる。お手軽にはできないし、年月もかかるけど、必ず変えることはできる。その方法論を間違わなければできる。でも、学校ではそんな方法論を考える勉強はせず、「これは***方程式で解きなさい」とか「この作家は***を訴えています」と教える。それに従って問題や設問を解くだけの教育。

だから、方法論を考えだすことができず。
教えてもらわなかった事態に遭遇すると投出し、諦め、絶望するのだと思える。そして「世の中、甘くない」「夢はしょせん夢にしか過ぎない」「現実をシビアに受け入れるのが大人の考え方」と自分を戒めて納得。夢を封印し、理不尽を受け入れ、耐えて生活するのが人生だと考える。
でも、それは方法論を見つけることができないだけだ。僕自身の経験だが、学生時代に「映画監督になる!」といって、どれだけ多くの大人たちに反対され、批判されたことか。「世の中甘くない」「夢みたいなことをいうな」「諦めが肝心」「お前、才能あるのか?」散々、否定され続けた。調べても映画会社は社員の受け入れはしていない。業界に知り合いはなし。八方塞がり。でも、足掻き続けて、何年も転がり続けて、今、監督業をやっている。
監督になってから
「自分で製作費を集めて、本当に作りたい映画を作る!」といったときも業界の友人、先輩から大反対された。「絶対に無理」「前例がない」「お前に金集められる訳がない」といわれた。けど、必死に方法論を考え、走り回って、多くの人の応援もあり、今回で4本目の映画を作っている。全作とも、僕が本当に作りたい作品であり、自分が望まないものを雇われて作ったことはない。

僕は学生時代。まじめな優等生ではなかった。
高校時代は「落ち零れ」と言われた。与えられたことを確実するだけの授業にうんざりしていた。けど、その頃から「どうすれば監督になれるか?」「どうすれば映画を作れるのか?」「どうすれば自分が作りたい映画が作れるのか?」考え続けた。考えれば答えが見えてくる。実践する。ダメなら別の方法でチャレンジ。諦めなければゴールまで行けることを実感した。僕でもできるんだから、誰だってできると思える。
お店でも、レストランでも、弁当屋でも、カフェでも、大資本のチェーンが君臨しているが、個人でもできる方法はあるはず。金や宣伝だけで成功するものではない。或は、俳優になりたい。歌手になりたい。小説家になりたい。漫画家になりたい。デザイナーになりたい。いろんな夢がある。それも命がけでかかれば実現できるはずだ。
でも、そのためには専門学校に行ってもダメ。
マニュアル本を読んでもダメ。方法論を必死で考えて、実践すること。10年かけてもやる覚悟が必要だ。ただ、これまで受けてきた日本の教育に縛られて、その方法論を考えることができない人が多い。与えてもらわないと何も始まらないと思っているけど。実はチャンスも方法論もたくさんあって、それに気づかないだけ。やればできる。僕はそう考えている。

1年前の今頃、「向日葵の丘」主演の常盤貴子さんが雑誌の表紙&インタビュー! [思い出物語]
【向日葵の丘=感想。40代男性】日本中の家族に見てもらいたい! [再・感想]

【向日葵の丘=感想。40代男性】
太田監督作品は老若男女問わず、それぞれの目線・感覚で観れるのが素晴らしい。そしてそれは今回の向日葵の夏ー1983年夏も同じ。日本中の家族に観てもらいたい映画です。
先ずはヤング3人組。1983年は私も世代ドンピシャです。あの頃は一生懸命やることが良いこととは思えず、適当に周りと上辺だけ調子合わせて、ひょうひょうと過ごしていました。この3人組のように『これがめっちゃ大好き!』ってモノが自分には無かった。勉強が全てではない。一生懸命打ち込めるものがあれば必ず成長するってことをあらためて3人に教わりました。
最初はクラスの誰もが相手にしなかった3人の思いが徐々に周りに伝わり、町中を巻き込んでの一大イベントになっていくのにはワクワクが止まりませんでした。そしていよいよ…という時に突然の上映会中止。3人の関係と多香子の家族が崩れたまま時は流れる……大人になった3人。多香子とみどりが再会した場面はスクリーンを直視出来ませんでした....。
