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向日葵の丘ー感想「いい映画を一本だけでも観たいのなら、これを観るべきだろう」 [再・感想]

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繁栄で得たもの、失ったもの

~常盤貴子主演『向日葵の丘-1983年夏』~

ものすごい俳優陣で固めながら、日本の繁栄の先にあったはずの「本当に大切なもの」とは何かを問う社会派映画、などと簡単に言ってしまうとこの作品の美をすっかりそぎ落としてしまう。

主演の常盤貴子(主人公・多香子)の演技はNHK連続ドラマとはまったく異なる次元で、映画の世界に棲(す)む女優とは何かを私たちに思い出させてくれる。連ドラの彼女も魅力的で好きだが、この映画の彼女はものすごくいい。脚本・演出までつとめた太田隆文監督は、前半は彼女のゆるやかなリズムを活かしつつ後半は演劇のような長いセリフ・間合い・表情を語らせながら、観る者の力量を試すように格闘を挑んでくる。私たちは常盤貴子のいつものゆるやかなリズムに安心していると、知らぬ間にこの作品の世界1983年に迷い込み大きな格闘から逃げられなくなってしまう。

さびれた映画館のオーナーをつとめる津川雅彦は、高校を卒業し東京の大学に向かう多香子に、ほしいモノを全部手にした後で「本当に大切なもの」は何か分かったら教えてくれ、と話す。津川は全体のテーマを微笑みながら最後までじっくりと染み込ませてくる中心的な役だ。ポスターの写真がもっと大きくてもいいのではないかと思った。他に別所哲也、田中美里などベテランが固めるが、僕は男の子の口調ではっきり意見を言う藤田朋子(写真左)が好きだった。これは、役柄のリズムをアンサンブルに仕上げていく脚本がいいのだろう。

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監督の前作『朝日のあたる家』は原発事故という日本人が強い関心をもっている大きな題材を通して逆に最も身近な「家族の幸せとは何か」というテーマを鮮明にする感じだったが、今回の作品は映画という表現手法、力、感動のさせ方のフルモデルチェンジがされており、笑い、驚き、感動そして何度も泣いちゃうエンターテインメント。ところが涙が止まらずすっかり困り果てているとテーマがゆっくりと胸の中に浮かび上がってくる、ここが観客にその場で映画を消費させずに当事者意識を持たせるこの作品の底力といえる。この点は、過去の美をテーマにした「ニュー・シネマ・パラダイス」を超えた美だと思った。

多香子が女子高生だったときに仲間と作る白黒8mm映画の迫力のあるカットの数々、しかも、できあがったその内容はなかなか見ることができない大仕掛け。階段を登った向こうにある向日葵(ひまわり)の丘に仕掛けられた衝撃。多香子が母と分かれて家を去っていくとき、カメラは泣きながら歩く多香子の表情をアップで離さず背後にどんどん小さくなる母を、母が消え次に現れるふるさとの象徴お茶畑を、そして日々の営みを暗示する街灯の淡い光、自然の川のせせらぎ、と人の涙の背景をどんどん変えながらこれをワンカットでおさえていくところは、監督の映画人としての根性も伝わり胸を打つ。

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2時間20分くらいだっただろうか、時間を忘れる仕掛けの連続。説明的なところをカットしてもう少し観客に想像させてもいいのかなと所々思ったが、ちょっと儲かった感じもする。多香子の父役の並樹史朗そして母役の烏丸せつこの演技も良かった。後半のこの二人の演技は圧巻だ。そしてラストの役者総動員で失った「本当に大切なもの」は何かを取り戻す場面は、分かっていてもしゃくなことに何度も何度も泣かされた。参加している役者は誰もが完全に監督の世界に棲んでいた。

この夏、「いい映画を一本だけでも観たい」のなら、これを観るべきだろうと思う。この監督はこんなスピードで力量を上げていったら、この先どうなるのだろうか。だが、それを決めるのはどれだけ多くの観客が商業主義に流れないこうした映画を支えるかという、日本の文化レベルが、今、問われていることは確かだ。




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申し訳ありません。


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これからの時代を生きるために必要なことって何だろう? [My Opinion]

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自分の人生のことってなかなか分からない。

客観的に見つめることはむずかしい。先日、ある業界の先輩と話したとき。面白いことを言われた。

「最近の太田を見ていて思うんだけど....お前は学生時代、教育に疑問を感じて勉強しなくなった。日本で大学に行くのも拒否して、映画監督を目指した。でも、それは当時として単なる落ち零れ。映画界を目指したのは敗者復活戦のようなものだ。ま、だいたい、勉強できない奴が小説家や漫画家。ミュージシャンを目指すものなんだけどね。

でも、多くの場合。夢破れて就職したり、家業を継いだりする。なのにお前は本当に映画監督になった。どーにか、その世界で生きている。サクセスストーリーと羨む奴もいるかもしれないが、不安定な世界だ。来年はどうなるか?分からない。けど、興味深い部分がある。

一昔前は映画や音楽の仕事は浮き沈みがあって不安定。

だから、皆、固い会社に就職して安定を計った。なのに今は会社員でも来年どうなるか?分からない。倒産したり、窓際に飛ばされたり、リストラされたり。昔のように、おとなしくしていたら路頭に迷うことになる。

つまり、今の時代。映画やるのも会社員やるのも大差ない。ただ、違うのは映画や音楽をやってる奴らは考える。道なき道を探して、そこまで来ている。与えられたことをやるだけでなく、どうすれば道が開けるか? 前へ進むか?を思案して、ここまで来ている。でも、会社員やってる奴らは太田がよく言うように、与えられることをやるだけの暗記中心の教育で育ってきた。だから、自分で考えることが苦手。

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その意味で、当時は落ち零れと言われたお前らの方が、

これからの時代を生きて行く力があるだろう。学生時代にまじめに勉強し、いい成績を取ろうと努力して来た連中は、その力がない。与えられた道を走るしかできない。ま、自分に考える力がないことに気づいていない奴も多いんだけどね。成績優秀=頭がいい、と思いがちだけど、それは違って成績優秀=与えられたことを確実にできる、にしか過ぎない。与えられないことはできないだよ。

何だか皮肉だよな。本来は親や先生、その背後にある教育システムや政府が設定した、優秀なサラリーマン育成システムの乗ることで、安定した生活が送れるはずだったのに、時代が変わり、それは崩壊、与えられたことをしているだけでは生きのびることはできない。不安定な時代を生き抜く知恵があるのは、その教育システムから落ちこぼれた連中。拒否した奴らという現実。ドラマティックだよな?」

なるほど、そういう面はあるだろう。

カタギの友人たちを見ていると本当に苦闘している。が、映画の世界で生きて行くことも簡単ではない。映画や音楽で身を立てようとして消えて行った友人も多いので、その世界を目指すことがベターな生き方とも思わない。

しかし、先輩の言う通り、これからの時代は大人たちのいうように真面目に学校で勉強しているだけでは生き延びて行けないことは確かだ。自分で風を感じ、波の大きさを見極める力がないと、混濁の時代を超えて行けないと思える。そんな時代に子供たちに何を伝えればいいのか? 考えている。それが僕の映画のテーマでもあるのだから。





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