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映画の成功はキャストだけでなく、スタッフ選びも大きい! [映画業界物語]

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後輩の映画監督から相談を受けた。

撮影現場が非常に混乱してうまく行かなかったのだが、理由が分からないという。スタッフ同士が議論になったり、喧嘩したり、ギクシャク。まとまらずに、それぞれが勝手なことを始めたというのだ。

そう聞くと普通なら「相性が悪いスタッフが多かったんだね?」とか「ギャラが安いのでイライラしてたんじゃないの?」とか言われそうだが、後輩はそういうことではないというのだ。で、いろいろと訊いてみた。

まず、後輩が監督したのは低予算映画。それをドキュメンタリータッチで撮影しようとしたという。手持ちカメラを多様。多少のブレがあっても、台詞が聞き取れなくてもOK。それよりリアリティを重視。あえていえば、アメリカのテレビドラマ「24」をさらにエスカレートさせ、「これはドキュメンタリーじゃないの?!」と思えるほどのリアリティある映画をめざした。

次にスタッフを訊くと「カメラは***さん。照明は***さん、

助監督は***君」と名前を上げてくれた。その段階で「ワトスン君。答えは簡単さ!」といいたかった。もちろん「AさんとBさんは犬猿の仲なんだよ。うまく行くはずがないさ」なんて真相ではない。映画作りの難しさがそこに現れていた。

まず、カメラのAさん。この人はドラマでもドキュメンタリーでも出来る人。だが、照明のBさんはバリバリの映画人。そして助監督のCさん。この人はテレビドラマを専門。もう、これだけで答えは出た。

作品の方向性はドラマだがドキュメンタリータッチ。

だが、照明のBさんはバリバリの映画人。こだわった映像で重厚な物語を作って来た人。それに対して助監督のCさん。テレビの仕事が多いので、とにかく早く撮影する。クオリティは低くて、予定通りにクランクアップすることを重用視。

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そして技術的にも問題が出る。

例えば手持ちカメラがグラグラ揺れとする。通常の映画ではNGだが、ドキュメンタリーならOK。それをあえてドラマでやろうというのが意図なのに、映画の照明部も、テレビ専門の助監督も「それはおかしい!」と受け入れなかったのだ。

照明部はドキュメンタリーではありえない、おしゃれなライティングをするし、演出部は「役者の顔にしっかり光を当てないと!」とテレビドラマの定義を持ち出す。どちらもドキュメンタリーでやったらおかしなことになる。つまり、監督の意図をスタッフのほとんどが理解せず。また、テレビ系、映画系のスタッフもそれぞれに価値観が違い、ぶつかったのだ。後輩が意図するドキュメンタリータッチのドラマを理解しているはカメラマンだけ。

後輩、曰く「作品意図の説明を聞き、皆、分かった!といってたんですよ」そして一般の人から見ても映画も、テレビも同じ。ドキュメンタリーもほぼ同じ。という認識だろう。が、これらは全く違う。似て非なる物。あえていうと宗教と同じ。知らない人が見れば宗教なんて皆、神がいて、その教えを信じるものだと思いがちだが、そのささやかな違いで海外では戦争まで起きている。映画やテレビもまた同じ。

例えば映画では「監督」が絶対的存在だが

テレビは「プロデュサー」、CMでは「スポンサー」ドキュメンタリーもまた「監督」だろう。つまり、映画のスタッフは「監督」のためにがんばるが、テレビは「プロデュサー」だ。CMは「スポンサー」第一。

僕も以前、CMのスタッフとドキュメンタリー作品を作ったが、何かあると「だったら、まずスポンサーに報告して承認を得ないと!」言い出す。いい加減うんざりした。ドキュメンタリーはスポンサーのために作るものではないのだ。同じく、後輩の映画でも、テレビ系は監督よりもプロデュサーにへつらい。監督をないがしろにしていたらしい。

さらに、それぞれの方法論が違い、議論になり、言い争いになる。でも、それは最初から見えていることだ。後輩は事前に説明したというが、何十年も実践してきた方法論を人は簡単に変えることはできないのだ。もし、ドキュメンタリータッチを実践するなら、テレビや映画スタッフではなく、ドキュメンタリーのスタッフでドラマを作るべき。

或は、その種の発想を理解するスタッフを選ぶべき。

名前を聞くだけで、「その人にドキュメンタリーは無理!」というスタッフにした段階で失敗は見えている。よくキャスティングが成功すれば、映画の70%は成功だと言われるが、スタッフも同じ。そこで間違った人を呼ぶと、テロリストを乗せて船出するのと同じになってしまう。

映画スタッフのみならず、新入社員でも、何でも、人選というのは本当にむずかしい。



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日本の企業映画はいかにして作られ? なぜ、詰まらない作品が多いか? [再・映画界]

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映画館で毎日上映されている映画。

有名俳優が出ていて、それなりに製作費がかかったあれ。基本的には映画会社が企画し、スタートする。最近では、テレビ局。ビデオメーカーが企画した作品の方が多い。或いは、製作会社が企画したものもある。いずれにしてもプロデュサーという肩書きを持つ社員が企画会議で、こんなプレゼンをする。

「ベストセラーの****を原作にした映画を、人気のタレント*****を主演で映画にしたいと考えます」最近はマンガ原作が多いが、まず、その版権を押さえる。「少年ジャンプ」では新連載が始まったとたんに各社から映画化、ドラマ化依頼が来るので、「***というマンガが人気!」といわれてからではすでに手遅れ。

というのは、映画にするにはベストセラーということが不可欠なのだ。せめて人気作家の作品であること。最低でも書籍になっていなければ、企画会議では絶対に通らない。つまり、知名度のない作品を映画化すると、タイトルからまず伝えて行かねばならない。そのためには膨大な広告料が必要だが、ベストセラー原作だと「ああ、あれね! 映画になるんだ」といって覚えてもらえる。

映画会社にとって大事なのは

「内容が面白いかどうか?」よりも「作品や作家に知名度があるか?」が重要なのだ。幸い、ベストセラーであれば、面白いからこそ売れた訳で、そこもクリアーできる。でも、逆にいえば、どんな面白いシナリオがあっても、原作ものでないと映画化はまずされない。

もし、無名の新人ライターが書いたシナリオがもの凄く面白くて、映画化すればヒットしそうだとしても、映画会社は決して採用しない。まず、先に上げた知名度がないからだ。

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例えば若いPが「このシナリオ面白いですよ!映画化しましょう」

と提案しても、こういわれるだろう。「その映画がヒットする保証はあるか? 原作が500万部売れていれば、10%の50万人が映画館に来るという計算ができるが、原作がなければ、そんな計算もできない。何よりお前がそのシナリオを面白いと思うだけで、一般の人は興味を持たないかもしれないだろう」

もし、その若いPが何らかの手段で映画化しても、ヒットしないと「お前が面白い、絶対にヒットするといっただろう?」と責任を追求される。だから、バカらしくなり、そんな提案をするPはいなくなる。さらに、ベストセラー原作を提案して、ヒットしなかった場合は「500万部売れたマンガを原作にして駄目なら仕方ないですよ」という言い訳ができる。だから、若手Pも次第にオリジナル・シナリオを提案することはなくなる。

この構図の基本的な問題点は、

映画化の決定権を持つ重役たちがベストセラー原作の知名度のみにこだわるということだけでなく、シナリオを「読む力」がないということだ。そして「これは当たる!」という商売的な勘がないということ。だから、売れた原作ものに頼る。或いは頭が古くて、新しいものが理解できないか? いずれにしてもシナリオを「読む」力も、時代を「読む」力もないということなのだ。

もうひとつ、「俺は命をかけて、この作品をヒットさせる!」という思いもない。成功させるより、失敗したときのことを先に考えて、まず逃げ道を作る。「ベストセラー原作で駄目なら仕方ない」自分には責任がないと弁解できるようにしているだけだ。

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同じことは他にも言える。

「人気タレントが主演だから」「有名アーティストが主題歌を唄うから」「テレビシリーズの映画化だから」みんな、ヒットするからというより、万が一ヒットしなくて責任を追求されないための提案なのである。真剣に映画を売って会社に大損失を与えたら、窓際に飛ばされる。そうならないようにPたちは「人気ブランド」にすがるのである。これが多くの日本映画が作られる経緯だ。


作品内容そのものより。ベストセラー原作、人気タレント、有名アーティストの主題歌を重用視。それぞれが相反するものでもおかまいなし。そうして決まった企画をテレビ局、レコード会社、コンビニ、メーカーと、いろんな企業から出資を募り、映画化。撮影に入る。

「この作品を作りたい!」とか「このテーマを伝えたい」という思いはほとんどない。がビジネスなので、それはいいとしよう。それならがんばって儲けてもらいたいのだが、単に人気のカードを揃え、多くの金を集めて、大宣伝して上映しようというだけの発想。料理だって高級食材ばかり集めたからと、おいしい料理が作れる訳ではない。映画も同じだ。

が、次第に観客もそれに気づき始めている。

テレビで大宣伝しても、ヒットには繋がらなくなってきた。食品でも、車でも、テレビでも、何でも同じ。作り手側が作りやすい、都合のいいものを作り、冒険も、チャレンジもしない。リスクも負わないでいるようでは、いい物はできず、消費者は満足しない。映画も同じだ。でも、まだまだ、映画会社やテレビ局は、相も変わらず、「人気カード」集めに右往左往しているのが現状だ。


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