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「夢見る力」シリーズー夢破れても大きな財産が残る? [【再掲載】]

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夢を実現するには? 

夢を形に出来る人とは? そんなことを何度か書いた。世間では夢を実現した人を「努力家」だといい。形に出来なかった人を「世間に負けた」とかいうことがある。或いは「才能がなかった」という。何度も書いたが「才能」なんてものはない。「才能」がないから駄目だったのではなく、他に大きな問題があったからのだ。

そして「世の中甘くない」「世の中は厳しい」「夢はしょせん夢である」という。そんな大人たちの言葉を聞いていると、「夢を追うのは現実を知らない子供っぽい人間」であるかのように思えてくる。実際、僕のまわりには、そんな連中がたくさんいた。「真面目に学校に行き、いい大学に入り、いい会社に入り。安定した収入を得る。それこそが堅実で、世の中を理解した生き方である」というようなタイプだ。

どうせ夢は破れるもの。傷つき、絶望し、

無力感を味わうより、夢など追わずに堅実に生きよう!という友人たちをたくさん見て来た。事実、夢破れて、故郷に戻り、その後、連絡がない友人もいる。夢を果たせなかったことが大きな心の傷となり、夢を果たした者を妬み、若い人たちに「世の中甘くないんだぞ」という奴もいる。劣等感を持ち、何年経っても、その悔しさを忘れられないでいる者も多い。

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それなら、やはり夢なんて追わなければ......と思える。夢を追わなければ傷つき、後悔することもない。そう考える人もいるだろう。だが、違う。例え夢破れようとも、夢追うことは大切であり、意味あることなのだ。

もし、何の夢もなく、若い時代を学校とバイトだけで過ごしたらどうだろう? 

そんな友人に話を聞くと「何も覚えていない」という、学生時代に何をしたか? 記憶にないのだ。飲み会して、部屋でテレビ見て、学校行って、バイトして、それだけ。例え傷つかなくても、そんな生活が想い出にならないのは当然。でも、夢を追うことで、人生は違って来る。

例えば、俳優になりたいと思う。そうしたら映画を見る。舞台を見る。勉強せねばならない。シナリオを読む、原作を読む。いろんなことを学べる。学校での勉強ではない、自分から進んで興味を持って得る知識は生きて来る。1人では芝居はできない。劇団に入る。仲間を集めて舞台をする。人とぶつかる。ケンカになる。意見の相違でトラブる。

でも、そんな中で人は様様なことを学ぶ。

人とどう付き合うべきか? どうやって仲良くやるか? そして舞台をするには場所を借り、宣伝をせねばならない。客が来ないことある。芝居がウケないこともある。赤字になることもある。どうすれは、客が来て、芝居を喜んでくれるか? 真剣に考える。学校では学べないことをたくさん学べる。

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そして何より仲間ができる。クラスが同じだった。趣味が同じということで出来た友達とは違う、一生付き合える友達ができる。小さな劇場で芝居をするだけでも本当に大変。でも、そこで友達と笑って、泣いて、ケンカして、一緒にがんばれば、大きな絆が生まれる。そこで得たものはプロになれなくても大きな財産。

大学4年間。バイトとコンパだけで過ごすより、

ずっと多くのものが得られる。もし、最終的に俳優になれなくても、そこで経験したことは別の分野でも生きる。古里に戻って就職しても、それは役に立つ。夢破れたことを嘆く必要はない。夢追うことで、計り知れないものを得ているのだから。

俳優だけでなく、ミュージシャン、作家、映画監督を目指す人たちも同じ。夢破れても多くのものを得られる。そのことは別の業種でも必ず役立つ。どんなことでも基本は同じ。夢を追いかけるということは、多くの意味ある経験ができるのだ。

僕は以前、演劇学校で教えていた。

一目見て俳優に向かないという生徒もたくさんいた。でも、真剣に教える。それでもしプロになれれば嬉しいことだし、例え夢破れても、彼、彼女にとって俳優を目指して努力した日々は必ず、別のところでも生きるから。無駄にはならない。

だから、僕は言う。「夢見ることは大切」「夢を追うことは大事」例え破れてもそれは大きな財産となるのだから。

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夕食はカップラーメン? [2016年]

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 昨年、LAに行ったときに買ったカップラーメン

 食べずにもって帰って来た。

 まるちゃんのアメリカ版

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 お味はどうか? 食べてみた。

 見かけは悪いが、うん。悪くない。

 良くもないが、悪くもない

 アメリカの食事。日本人にはほんと耐えられないが

 今回、いろいろ、クオリティが上がっていること感じた。

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「編集する」機能を司る脳と、「話す」機能を司る脳は違う? [【再掲載】]

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「請求書が届いてないんだけど?」

との連絡あり。あちゃー。このまま行けば編集の霊(?)が降りて来てガンガン行ける!と思っていたのに....、出かけねばならない。

毎回、思うのだが、編集作業を司る脳と、

声を出して話をする機能を司る脳のパートは絶対に違う。編集中に電話がかかってきてもパッと出れないし、出てもうまくしゃべれない。逆にいうと、電話で話せる状態というのは編集モードに入っていないということだろう。

スイッチが完全に入ると、電話どころかコンビニで店員と話すことさえ、うまくできなくなる。商品をカウンターに置いて、お金を払うだけならいいのだが、「****ありますか?」とか、ウインドウの中の商品を頼んで出してもらう(コロッケとか)というのが出来なくなる。

一体何なんだろう?

と思うが、たぶん、脳の中の言語を司る部分と、絵や文字を認知して想像していく部分が違うのだろう。編集やシナリオをスタートすると、そちらに大量の血が流れて、言語部分に血が行かず、うまく機能しないのではないか? 似たようなケースでいうと、テレビを見ながらご飯を食べることはできる。

でも、Hなビデオを見ながらご飯を食べにくい。これは脳の食欲と性欲のパートが同時に機能しづらいということから来ているらしい。近い位置に両者はあるらしいのだが、同時には厳しいらしい。

同じように編集脳と言語脳は近いところにありそうで、

実は両者を同時に働かせるのは難しいのではないか? ただ、編集をしながら「書く」というのはできる。このFB。メール等。だから、関係者には編集中に何かあればメールをしてほしいと頼む。電話の返答はできなくても、メールの返事はできる。やはり、「書く」と「編集する」脳は同じ部分なんだろう。

そのせいか? 編集を始めると人と話せなくなるし、話すと編集作業ができなくなる。やっかいな現象だが、たぶん、一般の人に分かってもらうのはむずかしい。。。。

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ランチ [2016年]

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 昨日のランチ。

 おにぎり弁当。

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 本日のランチ

 サンドウィッチ。

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