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大島渚監督のご子息が書いた父親の思い出。 [読書の話]

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今、これを読んでいる。

大島渚監督のご子息が書いた父親の思い出。

巨匠の言葉からは学ぶことが多い。


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「才能」という言葉を僕は使わない。だって才能なんて存在しないから [【再掲載】]

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コロッケさんが絶讃してくれた記事がこれ!

よく人はこういう。

「俺、シンガーソングライターになるんだ」
「お前、才能あるのか?」

「私、女優になりたい」
「才能ないとなれないぞ」


そんな会話を嫌というほど聞いて来た。人はこう思う。「歌を歌うにも、絵を描くにも、小説を書くにも才能がいる、才能がなければできない」

では、こう訊こう。「才能があれば小説が書けるのか? 才能があれば芝居ができるのか?」もっと言えば、才能があれば何もしなくてもギターが弾けるのか? シナリオが書けるのか?答えはーNO。楽器を弾くには長期に渡った練習が必要。最初から弾ける人はいない。シナリオだって何本も書いて練習しなければ書けない。では、人はなぜ、「才能がないと」なんていうのか?

天才ギターリストがいる。

その人は若い頃からもの凄い時間練習をして、何よりギターに人生を費やして来た。だからこそ、天才ギターリストと言われるようになった。演技派と呼ばれる俳優がいる。が、彼も若い頃から名演技をしていた訳ではない。時間さえあれば演技について考え、役についてあれこれ想像し。人生のほとんどを芝居のために費やして来た。だから今、演技派俳優と呼ばれ尊敬される。

そういうことなのだ。「才能」ではなく「素質」を持った人が年月をかけてそれを磨き、鍛錬して、「演技とは何か?」「音楽とは何か?」を自問自答して、どんな芝居をすれば人は感動するか? どんな歌を作れば人をハッピーにできるか?

 自分にはどんな芝居が、自分にはどんな歌が合っているのか? それを考え続け、試行錯誤した人が、人に感銘を与える仕事をすることができる。その努力を知らずに見ている人が「凄い! 感動した。何であんな芝居ができるのか? 何であんな歌が歌えるのか? きっと才能があるからに違いない」と思うのである。

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その努力や覚悟。情熱を想像できない人が、

理解するために「才能」という言葉を使い理解しようというのだ。そう考えると分かりやすい。結局、「才能」なんてないんだ。が、僕も若い頃によく「俺には才能があるのか?」「才能がなければ映画監督にはなれない」そんなことを悩んだことがある。

でも、「才能」なんてなかった。成功している人たちは、どの業界でも命がけで血の出る努力をしている。そうして作品を生み出す。その背景を知らない人が「自分になぜできない?」と思ったときに「努力したのに駄目だった」と悔しいときに、「才能」という便利な言葉を使うことで、納得するのだと感じる。

素質、資質はある。どんなに努力しても役者になれない人。小説を書けない人はいる。残念だがそれは無理。その素質、資質を持つ人が、どれだけの時間をかけて、それを伸ばすことに全てかかっている。数字で言えるものではないが、5%の資質しかない人が100の努力をすれば、10%の資質がある努力しない人を追い越すことはできる。

思い出すのはチャップリンの言葉。

「才能とは99%の努力と1%の閃きである」(実はジョンレノンも同じことを言っている!)本当にその通りだ。ただ、自分が賭ける以外の多くのものは犠牲にせねばならない。安定した生活とか、恋愛とか、平凡な家庭生活とか、一般の人が手に入れられる小さな幸せを犠牲にせなばならない。

そこまで出来る人だけが認められる。過酷な報われない戦いでもある。その戦いを知らない人が「才能あるからいいよな〜」というのである。

「俺は才能がないから駄目だ」と言う前に、99%の努力をしてみるべき。「お前は才能ないからな」と決めつけるなかれ。人生賭けて挑めば、輝く作品は生まれてくるのだ。「才能」ではない。「努力」なのだ。

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昔から会ってみたかったある芸能人(下)【才能ではない。考え続ける努力するから、トップランナーになれる】 [映画業界物語]

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【才能ではない。考え続ける努力するから、トップランナーになれる】

長年、お会いしたいと思っていたお笑いタレントのコロッケさん。その彼がパーソナリティを担当するFM番組にゲストで出してもらうこととなった。「向日葵の丘」の宣伝をさせてもらうためだ。スタジオに入ると、ナマ・コロッケさんがお出迎え。果たしてどんな人なんだろう? モノマネ芸人さんの世界ではトップ。帝王的な存在。デビューからほぼ30年。テレビや舞台で活躍している。お茶の間にいると、当たり前の存在に思えるが、それはスゴイことなのだ。

多くのタレントや歌手。そして俳優たちがこの30年に登場しては消えて行った。一世風靡したタレントでも、今はその名前さえ思い出されない人もいる。そんな中で30年間トップを走り続けるというのは、毎年宝くじで1億円当てるようなものなのだ。が、視聴者からすると「おもしろいオジさん」「楽しい芸人さん」という認知のされ方しかしていない。

もちろん「才能あるお笑いタレント」と評価する人も多いが、プライベートでどれだけの努力をしているか? 想像する人は少ないだろう。彼はいつも楽しそうにモノマネをするが、その目は絶対に笑っていない。そして、いつもタレント・コロッケを演じている。僕はそう感じるようになってから、テレビに映らないコロッケさんとはどんな人か?を考えていた。

そして、打ち合わせでディレクターさんが話してくれたが、僕の「向日葵の丘」監督ブログをかなりの量、読んでくれているという。プリントアウトしたコピーを見せてもらったが、スゴイ量だ。1回きりのゲストのために、テレビや舞台で多忙なコロッケさんが、それを全て読んでくれたという。そして、その中のひとつについて番組内で話をしたいという。

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僕の記事を読んでくれている人なら分かるだろう。僕のブログ、Facebookはほぼ毎日更新。1日に数度アップすることもある。毎回、長ーーい記事を書いている。書くよりも読む方が大変!という量。それを事前に読んでくれている。

それだけで、コロッケさんという芸人さんが分かる。ラジオ番組に出る無名監督とトークをするために、相手を知らなければ!と読んでくれたのだ。さあ、そのコロッケさん。ご挨拶をして、テーブルを挟んで向かい合って着席。ヘッドフォンを被り準備。その間も彼は気を使い、いろいろと話をしてくれる。

「『向日葵の丘』は見せてもらいましたよー。ほんといい映画ですねー。僕もどこかのシーンで出たかったなあ。もう、映画館のロビーで上映を待っているだけの客でいい。でたかったなあ。分かるんですよ。あの時代感。僕と監督は同世代ですし、自分が1つ上だけど、映画で描かれた時代はとても懐かしいし......」

と、ゲストを和ませるために、あれこれと話をしてくれるのだ。モノマネ界の帝王とは思えない気遣いと、腰の低さ。僕も仕事がらいろんな人に会うけど、本当に凄い人は決して上から目線で話さない。さて、番組が始まる。オープニングはコロッケさんのモノマネから。18番のトシちゃん。そして、ゲスト紹介があり。トークが始まる。ここから先はラジオで聞いてくれた人もいるだろう。

だが、僕がもっとも関心を持った部分は曲の間に解明する。生放送ではないが、音楽を流す部分は実際に音楽が流れ、その間、スタジオ内ではコロッケさんがいろいろ話をしてくれる。これは録音されない。そのとき、彼はこういった。

「監督のブログ読ませてもらったんですけど、スゴイ量ですよね?で、共感する記事が結構あって、その内のひとつのことをこのあと、お聞きしたいんですけど。一番、共感した、そーだよ、その通りだよな! と思った記事があるんです。僕もずっと考えたことで、若手にもよくいうんですよ」

一体、どの記事か? コロッケさんは言う。

「『才能なんてない』って記事ありますよね。あれ、本当にその通りだと思うんです」

あーーーーーそれかあ。なるほど。そうかーーーーーー。全てに納得がいった。その記事。読者の方も読んでくれた人は多いだろう。あとで、その記事のアドレスを記すが、簡単にいうとこんな話。若い頃、僕や映画監督を目指す友人がよく「俺って才能あるのかな?」と考えた。映画監督だけでない、歌手や俳優や小説家を目指すというと、大人たちはこういう。

「お前才能あるのか? 才能がないとやっていけない世界だぞ」

でも、自分に才能があるかどうか?なんて分からない。果たして自分が映画監督になれるのか? その才能があるのか? その後もプロデュサーや先輩に言われた。「お前は駄目だよ。才能ないよ」それでも考え続けて気づく「才能なんて存在しないんじゃないか?」今、振り返って断言する。「才能なんてない」そんな便利なものはない。夢を掴むのに必要なのは「才能」ではなく「努力」であること。そんなことを書いた記事だ。

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その記事が「一番共感した!」とコロッケさんはいうのだ。そこで全てが結びついた。起きてから寝るまで、食べるときも、テレビ見るときも、常にモノマネのことを考え続けるコロッケさん。その結果、モノマネ界のトップに駆け上がり30年も君臨している。友人はいう「才能ある人だからなあ」でも、ご本人に言わせば違うのだ。「才能ではなく、努力なんだ」コロッケさんは続ける。

「後輩たちにもいうんですよ。才能なんかじゃない。努力なんだ。こうすれば似るかな? こうすれば面白いかな? そんなことを考え続けることなんですよ....」

日本中の人を笑わせる、モノマネ界の帝王の言葉は重い。「才能ではない」「努力なんだ」と、彼はそれを実践し、トップを走り続けている。僕が10代から考え続けた「才能なんてない」論が証明された瞬間でもあった。たぶん、どの世界でもそうなのだ。映画界でも、お笑い界でも、歌の世界でも、いやいや、カタギの世界だって同じだろう。

営業でいい成績を上げる人も「才能」ではなく「努力」だ。まじめに、がんばるというだけではない。コロッケさんのように、朝起きてから寝るまで、考え続ける人だ。悩み続けるのではない。考える。彼が「どーすればあの歌手に似ることができるのか?」と考えるように、「どうすれば製品が売れるのだろう?」「どうすれより良い商品が開発できるのか?」と考え続けること。何事も同じだ。

9時5時で仕事をして「あー終わった。飲みに行きゾー!」というのも人生だ。でも、そこからも考え続ける人もいる。そんな人が成功する。トップに駆け上がる。才能ではない。才能があれば、何でもできると思いがちだが、そうではない。考え続けること。それが成功への道ということ。目の前でマイクに向かい楽しそうに話すコロッケさんを見つめながら、そう感じた。

この1点だけでも、番組に出してもらえてよかった。さて、番組終了後に、もうひとつ面白い話があるのだが、これはまた別の機会に紹介するが、これ以降、テレビでコロッケさんを見かけるたびに、彼の言葉を思い出す。タレントも、歌手も、俳優も、そして映画監督も同じ。いや、他の職業も同様。「才能」ではない。考え続ける努力こそが大事。そう思えている。(了)

コロッケさんが読んでくれた記事=>http://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp/2014-06-17


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昔から会ってみたかったある芸能人(中) 努力を見せないで観客を楽しませるタレント魂? [映画業界物語]

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【努力を見せない。苦労を感じさせない。観客を楽しませるタレント魂?】

長年お会いしたかったお笑いタレントのコロッケさん。その彼がパーソナリティを担当するFM番組。「向日葵の丘」の宣伝で出してもらえることになった。昨日の続きを書く。

スタジオの待合室で出番を待っていると、開いた扉からその前を通り過ぎる人が見える。コロッケさんだ! こちらに気づき立ち止まり「よろしくお願いします」と笑顔でいい、通り過ぎた。おーーナマ・コロッケさん! テレビ画面以外では始めて。ドキドキ! そこにディレクターさんが登場。打ち合わせが始まる。

コロッケさんは打ち合わに参加しない。直接、スタジオで会って話をしないと、新鮮さがなくなるからではないか? 綿密な打ち合わせをすると、トークが段取り的になってしまい面白さが失われる。芝居はある種、リハーサルが必要だが、トークは予想外が面白い。ディレクターさんとの打ち合わせが始まる。ちょっと話がそれたときに、あの疑問を訊いてみた。

コロッケさんは番組では楽しそうにモノマネをし、マネされるご本人が見たら怒るかもしれない暴走をすることもあり、みんなを笑わせる。それを見ている視聴者は「おもしろい人だ」「楽しいオジさんだ!」と思う。僕の友人なんて「楽しく仕事してて、いいなあ」なんていうが、そうではないと思えていた。

彼の日常は起きてから寝るまで、テレビを見ても、食事をしても、モノマネのことを考えているのではないか? 友人は「才能ある人だし、その道で成功していて羨ましい」というが、実はもの凄い努力をしているのでは?と感じていた。しかし、番組に出ているコロッケさんは努力を微塵も感じさせず。タレントコロッケを演じきり、素や苦労を見せない人だと思えた。そのことをディクレクターさんに訊いてみた。

「そうですよ。有名な話です」ーーーあっさりと、そんな答えが返って来た。関係者の間では有名な話だというのだ。やはり、そうか! 面白い!
この世界でときどき感じることだが、テレビで見ていると、本当に適当に仕事をしているように見えるタレントさん、毎回ワンパターンの芝居しかしない俳優さん。バラエティで好き勝手言っているお笑い芸人さんでも、実はもの凄い努力をして、まわりにももの凄い気遣いをすることがある。

それは番組を見ているだけでは分からない。コロッケさんもそのお一人。テレビで見ていると本当に楽しそうにモノマネをしているが、日常の努力は凄まじいという。なのに、番組ではその苦労を一切見せない。ディレクターさんがそう話してくれた。その話で盛り上がり、結局、打ち合わせをせぬまま、時間が来てしまい、こういわれる。

「コロッケは今日、お話するために監督のブログをかなり読んでいます。その記事の中から、質問して、話を進めます。私も読んでみたんですけど...」

とプリントアウトを見せられる。かなりの数だ。それもかなり読んだ中で印象的なものを印刷したという。しかし、書いた本人がいうのも何だか、「向日葵」の企画スタート時から2年以上、毎日。ときには1日に3つも4つも記事をアップしてきた。読むのも大変だ。それをコロッケさんはかなりな量を読んでくれたらしい。

まずはそこに感動だ。僕のような無名監督相手でも、コロッケさんほどの実力があれば、何の知識もなくても、話を盛り上げることはできるはず。また「向日葵」もすでに見てくれているので、その話だけで番組は展開できる。僕の経歴を調べるだけでも、そこそこ話はできる。それを何百ページもあるブログを読んでくれていた!彼はいくつものテレビ番組に出演。舞台やステージもこなしている。もの凄く忙しい。にも関わらず。膨大な量のブログを、たった1回の出演ゲストのために読んでいた。やはり、努力の人。が、それで終わらないのだが、とりあえず話を戻す。ディレクターさんはいう。

「どの記事の話をするか?は聞いていません。それは番組中でコロッケが話しますので、よろしくお願いします」

えーーーー、そう来たか!!!どの記事だろう? それが分かっていたら、それなりの答えが出来るように考えておくのだけど、膨大な記事数。聞かれてするぐに、答えられるか?でも、それも番組を盛り上げる演出だと思える。事前に分かった方がよどみなく答えられる。ヘタしたら、本番中にしどろもどろになり、トークをもり下げるかもしれない。

だけど、段取り通りのトークより、その方が面白くなる可能性も高い。だから、打ち合わせにも参加しない。なるほど。僕も撮影のとき、俳優さんが時間かけて準備して来たのを知りながら、わざと現場で追加事項をお願いすることがある。俳優さんは「えーー」だが、そこで予定調和ではない演技が発揮されることがあるのだ。

いつも自分がしていることを、自身がせねばならなくなった訳だ。さて、コロッケさんは、僕のブログのどの記事に興味を持ったのか? それを知ったとき、「なるほど!」と思うと同時に、僕の長年の謎も解明されることとなるのだ。そう考えていると、スタッフさんが来た。「そろそろ時間ですので、監督。お願いできますか?」僕は立ち上がり、待合室を出て、スタジオに向かった....。(つづく)


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昔から会ってみたかったある芸能人(上) 俳優でも歌手でない。あの人だ? [映画業界物語]

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【昔から会ってみたかった芸能人。俳優でも歌手でない。あの人だ】

「芸能人に会いたい!」と思ったことは昔からなかった。だから当時から「変わり者」と呼ばれていたのかも? でも、会ってみたい。お話をしたい人が1人いた。俳優でも、ミュージシャンでもなく、お笑い芸人だ。僕の映画は青春感動作が多く、コメディは作ったことがないが、関西育ちのせいか? お笑いは好きでよく見る。といっても、企画もののバラエティは好きではなく、芸を競う番組が好き。昔でいうと「THE MANZAI」とか今も放送している「ものまね歌合戦」とかはよく見ていた。

とにかく漫才でも、ものまねでも「芸」を見せてくれる番組が好き。なので、近年の「金曜エンタ」とかは首を傾げた。おもしろい芸人さんもいるが、多くが一発ギャグやどこが面白いのか分からない妙なパフォーマンス。たぶん、かなり若い層を狙ったためかも?と思うが、不満が残った。

実際、そこで一世風靡した芸人たちはほとんどが一発屋で終わっている。芸人に力がないというより、多分、局側が芸の使い捨てをしたのが原因だろう。お笑い芸人さんの努力というのはヘタな俳優よりずっと凄いものがあること。よく聞く。それを窓口を狭めて放送するのに都合のいい、短時間でのコントやギャグのみを受入たことで、一発芸ばかりになったように思える。

が、テレビはどーしてもタレントの使い捨て、その中で生き残るというのは、もの凄いこと。それを30年。その世界で君臨している人がいる。ものまねタレントのコロッケさん。そう。彼こそ。僕が以前から「会いたい!」と思っていた唯一のタレントさん。80年代のデビューからものまね一筋で、テレビ、舞台で活躍。未だに走り続けている。そして彼がスゴイのは単に「似ている!」ということだけではなく、それを超えた表現

ご本人に似ているというだけなら、他にもいる。が、それをエンタテイメントにしてしまったのはコロッケさんだけだ。「それは本人とは違うだろう!」といいたくなる表現であっても、どこかに本人があり、観客を笑わせる。もう、「似てる〜」ということで喜ぶレベルでなく、ひとつ上のステージでエンタテイメントしているのだ。こんな表現ができるのはコロッケさんだけ。

しかし、そんな彼を見ている多くの視聴者はこう思っているに違いない。「コロッケはいつも面白いなあ」「よく、そこまでやるよな〜本人が見たら起こるぜ。ははは」この辺はいい。サラリーマンの友人にはこんなことをいう奴もいる。「コロッケっていつもテレビで馬鹿やって、楽しそうでいいよな。俺なんか毎日、朝から晩まで仕事仕事で、楽しいことなんてないよ」ーーそうだろうか? コロッケさんは本当に番組で楽しくものまねをやっているのだろうか? 

僕も最初は笑いながら彼の芸を見ていたのだけど、その内笑えなくなった。確かにコロッケさんは番組内で本当に楽しそうにものまねをしている。本人の前で暴走したりする。けど、よく見るとコロッケさんの目は笑っていない。そして、芸が終わっても、司会者が質問するときも、素に戻っていない。他のタレントは芸が終わると、ホッとして素が見えるのに、コロッケさんは違う。何なのだろう?
気になり、毎回、彼の言動や行動を注目した。

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これは僕の推理だが、映画監督業という職業柄もあると思うのだけど、コロッケさんは、ものまねタレントであるコロッケを演じているのではないか? ものまねが楽しいというより、いつも陽気なコロッケという芸人を演じているのではないか? 友人のいうように、楽しく番組でモノマネをしているのではなく、司会者に答える部分まで全て演じているのではないか? つまり、ものまねを含めた彼の存在自体が「芸」であり、エンタテイメントしているのではないか?

では、彼の素というのはどうなのか? 友人たちのいうように「陽気で楽しいおじさん」ではないだろう。想像だが、起きてから寝るまでずっとものまねのことを考えている。「***さんのマネをするとどうなるか?」「そこに***君を混ぜるとどうなるか?」「そのまま、怪獣になるとどうだろう?」とか、食べるときも、テレビ見るときも、仕事の打ち合わせでも。とにかく、ものまねのことを考え続けているのではないか? 

多くのタレントは仕事を終わって飲みに行けば、羽目をはずしたり、若い女の子とはしゃいだり。オフで自宅にいればボーと野球見たりして過ごす。けど、コロッケさんというのは、起きている限り、ものまねを考え続ける。いや、夢の中でも考えているのではないか? ものまねに人生を賭けているな...と思える。友人は反論する。

「そんな訳ないだろう? テレビで馬鹿やってるじゃん!」

だが、「馬鹿だな」と思わせて、笑わせるのがタレントの仕事。本当のバカではない。が一般の人はそこが分からない。そして、彼が「コロッケ」というタレントを演じていることが分からず、自分が見ているその人がコロッケだと思い込んでしまっている。

言い換えれば名優というのは演技を忘れさせる。デニーロの芝居なんてまさにそれ。観客は「この人は俳優のデニーロ」と知っているのに、ボクシングのチャンピオンだったり、マフィアのボスだったりと、そのものだと思ってしまう。まさにそれと同じ。彼はタレント・コロッケを演じており。素顔を決して見せない。その素の部分はひたすらモノマネを考える研究者のような真面目な存在と思える。


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小説家とか、漫画家とか、その世界で成功している人を見ていても同じ。何を見ても「これは小説の題材にできないか?」「これを漫画にすると面白いかも?」とか考えている。つまり、コロッケさんは芸人というだけでなく、クリエーターとか、アーティストというカテゴリーの人かもしれない。けど、友人は納得しなかった。

「まあ、才能はある人だと思うけど、陽気でおもしろいおじさんなんだと思うよ。面白いから人気がある。それだけじゃない?」

んーーー違う。だが、この僕の推理は理屈ではなく、感覚的な部分が多い。刑事コロンボのような論理で犯人を導き出す手法ではない。ただ、僕がキャスティングをするときは、閃きで選ぶ。プロフィールに書かれた経歴も読むが、「この子は****な部分がある!」と感じて選ぶ。結果、あとになって、それは当たっていて、見事な演技をしてくれたり。演技力でなく、その人の背景や考え方を見抜けないと、キャスティングは失敗する。

その経験からコロッケさんの芸の背景を何年も考えていた。そのコロッケさんと、お会いする機会があった。今回の「向日葵の丘」の宣伝で彼のFM番組にゲストで出してもらえることとなった。おっしゃー! ナマ・コロッケさんに会える。果たして僕の思う人なのか? 次回。その辺の話をお届けする。(つづく)


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ヤング多香子の階段シーン。撮影風景! [撮影風景紹介]

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ヤング多香子の階段シーン。撮影風景!


「向日葵の丘 1983年夏」各地でヒット。上映延長! [公開終了の時期]

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【「向日葵の丘 1983年夏」各地でヒット。上映延長!】

映画館は基本2週間上映。大手企業映画の場合は客が来なくても2ヶ月とか上映されるが、それ以外は基本2週間。ヒットすれば1週間延長という形を取る。今、映画館はシビアであり、駄目ならすぐ打ち切りに走る。そんな中「向日葵の丘」は健闘中。ほとんどの劇場で2週間の予定でスタートしているが、上映延長される映画館が多い。

まずは渋谷シネパレス。2週間の予定が3週間。名古屋伏見のミリオン座も1週延長。静岡県の藤枝シネプレーゴに至っては3週の予定が2度も延長して、6週間のロングランとなった。大阪のシアターセブンも2週の予定が4週間。さらに福岡、中州の大洋映画劇場も1週延長。

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大阪に至っては当初、梅田シネリーブルで公開。そのあと、布施ラインシネマに移り、今はシアターセブン。ヒットしてもあとの予定がある場合は延長ではなく、上映する映画館が変わる。業界ではムーブオーバーと呼ばれる。これもなかなかないことだ。

いずれも予想以上に観客動員がいいので、延長したということ。しかし、「向日葵」の東京公開は8月下旬。もう、3ヶ月も前。当時の宣伝効果はもうほとんどない。にも関わらず、各地で客が来るというのはどういうことか? 

これが口コミというもの。映画ファンの間で「向日葵って映画、超泣けたよー!」と噂になり、それが広がる。「へー、そんな泣ける映画があるんだ。じゃあ、行くか?」となり、映画館に来てくれる。

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ただ、気をつけなければならないのは、「いいものを作れば口コミで広がりヒットする」と言われるが、それは少し違う。口コミは時間がかかる。僕の経験だと3−6ヶ月。「向日葵」も公開から3ヶ月。この時期になり評判が広がって来たということだ。

ただ、残念のは口コミが広がる頃には映画館公開が終了する。そろそろ、お正月映画の時期。どんなにヒットしていても、次の映画を上映せねばならない。そこが悔しいところだが、この週末も大阪、福岡、福知山、では「向日葵」を上映中。お近くの方はぜひ、ご覧頂きたい。

関西地方
大阪 シアターセブン 11/7(土)~12/2(金) 06-4862-7733
京都 福知山シネマ 11/14(土)~11/27(金) 0773-23-1249
中国地方
広島 シネマモード 近日公開 084-932-3381
九州・沖縄地方
福岡 中洲大洋映画劇場 11/7(土)~11/20(金) 092-291-4058


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