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僕がシナリオを見せない理由/感想を聞くと皆、映画評論家になる? [映画業界物語]

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 昔はシナリオを書くと、いろんな人に読んでもらい感想を聞いた。

「多くの人の意見を聞き、その声を取り入れる!」と思ったからだ。多くの人が「前向きな姿勢。偉いなー」と褒めてくれた。でも、それはほとんど意味がないことをやがて痛感する。一番の理由は多くの人がシナリオを読めないということ。業界でもプロデュサーを始め、映画関係者でも驚くほど読む力がない人が多い。

 「でも、プロなんだろ? そんなはずはないよー」

と思う人もいるだろう。ところが、意外な背景がある。例えばP(プロデュサー)というのは経験を積まなくても、実力がなくてもなれてしまうことがある業種?!(もちろん、実力あるPもいますが。。)。映画と全然違う仕事をしている人が転職雑誌を見て、製作プロダクションやビデオメーカーに再就職する。まず、APとして撮影現場で制作部の仕事を経験。安月給で、拘束時間が長い。休みがない。先輩たちがどんどん辞めていく。

 1ー2年も我慢すると、Pに昇進してしまう。撮影現場でやっていたのは弁当の注文とか、撮影のお手伝い。それ以外でもタレント事務所やスタジオとの連絡とか、監督やPのケアーとか、ポストプロダクション。それらも重要な仕事だが、その種の現場の仕事でシナリオを読む力は育たない。

 あと何度も書いたが、日本映画は原作ものが多い。「面白いか?」「映画化に相応しいか?」ではなく、売れているベストセラーであることが大事。読む力がなくても売れている原作の権利を押さえればいい。

 こんな環境ではシナリオを読む力は素人同然。

オリジナル・シナリオを読む力が着くはずがない。原作ものなら「これは面白いから売れてます!」といえば済むが、オリジナルだと作品の世界観を理解した上に、ドラマ文法を分かっていないと正確な評価ができない。

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 にも関わらず彼らは「俺はPだから偉い!」と思い込みがち。上から目線で、もっともらしい意見を述べる。要は「俺はこの物語が好きではない」というだけのことが多い。またが批判したところを修正しないと、あとあとまで不機嫌なことが多い。「私の意見が無視された」と思い込むのだ。

 だが、その多くは当て外れであったり、物語には関連しない自身の趣味を主張しているだけのことが多く、そんな意見を取り入れ直したら物語が歪んでしまう。が、「Pがいうんだから...」とシナリオを直す監督もいる。まあ、そんなPばかりではないが、そのタイプが結構いる。

スタッフも商売柄というのがある。

カメラマンは「このシナリオをどう映像化するか?」という視点で読んでしまうし、照明部は「どう光を当てるか?」と考えて読む。演出部はスケジュールやロケ地を考える。或は「俺ならこうする!」という視点で読み「この本は問題があるなあ」と思いがち。自身がいずれ監督になりたい人たちなので、その監督の意図ではなく、自分ならこーすると考える人が多い。

 そうなると、シナリオを見せて正確な批評や感想を関係者から聞くことは難しい。同業の監督や脚本家に見せても、ほとんどが自分の趣味思考で批評する。特に作家はそうい志向が強い。ま、感想、批評とはそもそもが個人の趣味に基づいたものなのけどね......。

 でも、ラーメンを食べてもらい「俺はカレーの方が好きだ」と言われても参考にはならない。「俺ならハンバーガーを作るな!」というアドバイスをもらっても、ラーメンを作る上でのプラスにはならない。つまり、本当に意味で作品にプラスになる正確な批評や感想を聞くことはとてもむずかしい。

 といって一般の人にシナリオを読んでもらうのも難しい。

小説なら誰でも読めるが、シナリオは特別なもの。登場人物の気持ちが小説のように説明はされていない。街の様子や時代の感じ。お天気や季節。風俗も特に詳しく書かれていない。それらを想像しながら読まなければならない。また、主人公をどんな俳優が演じるか?でかなり印象が違って来る。Aさんが演じれば余計な説明なくても面白くなるが、Bさんなら、意味が分からなくなるとか? 

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 そのシーンがどんなふうに撮影され、どんな編集になり、どこで音楽がかかり、どこで特撮が使われるか? それらが想像できない人が読んでも映画の完成形は理解できない。そんな理解力と想像力がなければシナリオは読めない。そのせいか、一般の人に読んでもらうと「何か面白くないんだよねー」「何かが足りないだな」と言う人が多い。

 そのくせ「なぜ、おもしろくないか?」「何が足りないか?」

を指摘できる人はほとんどいない。実は何かが足りないではなく、読み手の想像力が足りないというのが事実ということが多い。そして、一般の人でも「ここは***した方がいい」とか「この展開はこうした方がいい」」とか提案する人が多い。なぜか? 思い出すことがある。

 Facebookをやっていた頃。専門家でもないのに、僕の書いたことについて、あれこれ指摘、コメントしてくる人たちがいた。全く当て外れな事を提案、批判、アドバイスしてくる。「目薬をして寝る」と書いただけで「目薬は止めろ!」「危険だ!」と書き込む人がいた。といって医薬品関係者とか薬に詳しい人ではない。「ハンバーガーを食べた」と書けば「野菜が足りない!」「体に悪い!」「食べてはいけない」「緑の野菜を食べた方がいい」というコメントが来る。

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 それらも応援のひとつなのだろうが、なぜか?あれこれ意見して来る。野菜を食べないのではない。その日たまたまハンバーガーを食べただけなのに、なぜ、そんなふうに言って来るのか? 他にも似たようなことがあったなあ....と思い出すのが、近所のおばちゃん。親戚の伯父ちゃんたち。

 彼ら彼女らもまた、僕が子供の頃に会うとあれこれ意見したり、アドバイスして来た。が、大人になって振り返ると自分たちがよく知らないことをあれこれ言っていただけだった。ほとんどが役に立たなかったことを思い出す。

 「いろんな人の意見を聞く」というと、いいことだと思いがちだが、

実際は各自が好き勝手なことをいったり、自分の知らないことを助言、価値観を押し付けるものが多い。意見を受け入れないと恨まれたり、怒られたりする。シナリオに関しても、同じことが何度何度もあったので、今は意見を聞かない。完成したものを提示して「これを映画化します!」という形にしている。

 もちろん、「なるほど!」という意見があれば、取り入れたり、直したりするが、残念ながら非常に少ない。だから、スタッフには「シナリオ。どう思う?」とは聞かない。聞くと、多くの人は得意げに「あそこがダメだ。ここがよくない!」と批判が始まる。

 「***したらどうだろう?」「****の展開が面白いと思うけど?」と提案される。が、結局「私ならこうする」という意見。それはもう別の物語だ。「ぜひ、自身がシナリオを書くときに、そんな話を書いてくれ!」と答えたくなる。

 人というのは自分が良く知らない分野でも、

自分が得意でないことでも、あれこれ意見したいところがあるのだろう。特に批評となると、上から目線になり、評論家気取りであれこれいいたくなるようだ。Yahoo!レビューなどを見ると、「この人、評論家?」という文章が多数並んでいる。シナリオを書くたびにそんなことを感じる。なので、読んでもらう人は厳選せねばならない。

 シナリオどころか、小説でも同じ。映画にもなり大ベストセラーとなった「リング」も当初、出版社では評価されなかった。何人もの編集者が読んだが「これはダメ」と思ったらしい。それがある編集者が読んで大絶賛。出版したら大ヒット。

 そう、見る目がある人が読まないと、小説でもその魅力は分からないのだ。シナリオは小説以上に読み辛く、想像力が必要。「これは面白い映画になる!」と見抜くのはかなりの眼力がいる。いいシナリオを書くのも大変だが、いいシナリオを選ぶのも、凄く大変なことなのだ。





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