SSブログ

編集は作業ではなく、悲しみとの対峙。 [映画業界物語]

10304443_631548216919486_2425409850804241885_n.jpg

今回の映画「向日葵の丘」

 いつもと違う手法で描いている。「ストロベリーフィールズ」は昭和40年代の物語。全部が過去。「青い青い空」「朝日のあたる家」は現代。そして今回の「向日葵」は「1983年」と「現代」。初めて2つの時代を描いた。決して新しい試しみではなく、例がいくらでもあるスタイルなのだが、その手法で「人生とは何か?」を描いている。

僕の映画は

 「親子に伝える大切なこと」が毎回のテーマなのだが、今回の「向日葵」は同時に「人生とは何か?」が主題ともいえる。そのために、主人公以外にもいろんなキャラクターが登場。その人生を描く。多くは普通の人々。でも、彼ら彼女らは何の罪もないのに、ささやかな幸せを求めているだけなのに、不幸な出来事にぶつかり、やがて悲しい結末を遂げることになる。

その物語。

 机の上で想像したものではない。テレビドラマを見て借りて来たエピソードではない。全て実在の人物。僕が出会った人々であり、長年の親友をモデルとしている。だから、現場でそれを演じる俳優さんたちを見ていて、胸が詰まった。心優しき友人たちの末路を改めて見つめるような思いで、何度も涙が溢れた。

なぜ、彼は、なぜ、彼女は

 あんな思いをせねばならなかったのか? どんな罪を犯したというのか? 平凡に小市民として生きて来ただけ。小さな夢を胸に秘めて、それすらも果たせずに、潰れていった。ある者は全てを失い、ある者は子供を残したまま、この世を去った。

でも、僕は何もできない。

 手を差し伸べることもできなかった。いや、会うことすらできず、逝ってしまった奴もいる。今もその絶望の中で足掻いている友人もいる。なぜ、あの子が、なぜ、あいつが、そんな思いをせねばならないのか?憤りと怒りと悲しみが撮影の間中、交差していた。今も、その思いは続き、心から血が流れ続けている。

 一因はそこにあるのかもしれない。その友人たちの過酷な結末を編集作業の中で、もう一度、見つめなければならないことを躊躇することもある。シナリオも、編集も、単なる作業ではない。人生と向かい合うこと。その中で希望を探し、答えを見つけること。それが作家の使命。その過酷な悲しみと、対峙せねばならない。それが映画を作るということなのだ。

m_903471_617524858321822_5104824905454330605_o.jpg
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。