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【一般の人には分かり辛い映画界のルール。人生を賭けた戦いということ】 [今年アクセス数500超えの記事紹介]

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【一般の人には分かり辛い映画界のルール。人生を賭けた戦いということ】

友人Aは後輩監督。彼が選んだ若手の女優はときどきブレイクする。僕もよく「実力派の若手女優を見つけるのがうまい」と言われるが、後輩もなかなかだ。そんなA君が期待している若手女優B子がいた。ただ、その魅力は他の監督たちには理解されず、オーディションに落ちてばかり。

で、彼は自作で起用。毎回、違う役に挑戦させた。いろんな役を経験させて、自分以外の作品にも出演できるようになってほしかったからだ。B子は頑張り屋で役作りに、もの凄いエネルギーと時間をかけて、毎回、観客の心を打つ演技を見せた。まさに人生を賭けて芝居をしていた。

しかし、ある映画でB子の芝居、ど素人もビックリの酷いものだった。棒読みもいいところ。中学生の朗読だ。彼女を評価する人たちは「今回の役はむずかしいから仕方ないよ」といったが、そうではない。明らかに役に対するアプローチ不足だ。

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その役はどんな役で。どんな人生を送っている人で、どんな経験をし、どんな家庭で、どんな幼少期を過ごし、今があるのか? どんな性格で、どんな趣味で、どんな心の傷を受けているのか? そんなことを徹底して考えて役作りをする。それにかける時間が少なく、真剣に考えていないための結果であることはすぐに分かる。そのことを後輩監督のA君に訊いた。彼は答えた。


「やっぱ、分かりますか? 映画に使ったのは彼女の芝居の10分の1ほど。あとは酷すぎて使えませんでした。だから、ほとんどカット.....本当に辛かった....でも、カットしないと作品自体がどーしようもないレベルになる.......で、B子ですけど....気づいてはいたんですけど、彼氏ができたんです...」

だろうと思っていた。そのために潰れていった女優の卵を何人も見て来た。役者を続けるのは大変なことで、無名俳優の多くはアルバイトをしながらオーディション等で受かると、休みを取り撮影に参加。終わるとまたバイトという生活。精神的にもかなり大変。そんなときに自分を理解してくれる彼氏が出来る。

一見、精神的にも支えられて、よりがんばれるかと思えるが、実際は逆のことが多い。甘えてしまい、辛い心が癒されてハングリーさを失う。死に物狂いで演技プランを考えるより、彼との幸せな時間を選んでしまう。男でも彼女が出来たことで、不安定な役者を辞めてカタギの仕事に就くことがあるが、僕が見て来た限りでは女性の方が、夢を諦めることが多い。後輩は続ける。

「B子に訊くと、彼氏と揉めてイライラしていて演技プランに集中して考えられずに撮影に挑んだそうです。親が死んでも、カメラの前で笑顔で演じるのが俳優。なのに彼女はそれができなかった。もう俳優失格です....」

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分かる話だ。俳優として一番ダメなパターンとさえ言える。松田優作は手術して車椅子生活すれば助かると医者に言われたのに、手術を拒否「ブラックレイン」に出演して亡くなったのだ。まさに命と引き換えに芝居をした。多くの俳優は人生をかけて芝居をする。だから、感動が伝わる。そんな中で新人のB子が彼氏と揉めて集中できなかったは通らない。後輩は他の友人たちにもそう説明した。が、多くがこういったらしい。

「でも、これを糧に次がんばるということがあるだろう? もう一度チャンスを上げたらどうだ。可哀想じゃないか?」

それは違う。熱がある体調が悪かった。だから芝居がうまく行かなかったなら、まだ、次はこの経験を教訓に体調管理をしっかりしようということはあるだろう。だとして、許されないこと。体調管理できていないところで俳優失格。B子の場合はさらに悪く。体調も良好で、時間もあったのに、役作りをせず、彼氏のことばかり考えて、何もせずに撮影現場に来たのである。

これはもう次がんばるという問題ではなく、二度と俳優業をやってはいけないというレベル。映画作りは趣味や遊びではない。命がけの戦いだ。だが、後輩の友人たち。カタギの人たちには理解できないようでこういうらしい。

「B子が可哀想だよ。俺もエキストラで現場に行ったとき会ったけど、とてもいい子だし。ずっと応援していたんだ。もう一度チャンスをやれよ!」

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その友人は分かっていない。映画作りをサークル活動と同レベルで捉えているのだ。或は会社で恋人のことを考えていて、大失敗した。それを上司に叱られたというレベルで考えているのだ。映画は1人の失敗で、その作品自体が崩壊することがある。誰もが魂を削る戦いをしている中で、彼氏のことを考えて芝居ができないなんてありえない。

特に後輩の現場は皆、真剣。事情を知らなくてもスタッフは「もう、B子はダメ。あの演技ではもう無理」となっている。そこにプロと一般との落差がある。何よりB子自身が「もう、A監督の作品には出られない。あんな芝居をして許されるとは思わない」と言っているらしい。これまでの彼女の演技は本当に素晴らしかった。人生賭けていた。それだけに役者として今回のことは許されないと悟ったのだ。

それでいえば、人生賭けるほどの子なのに、彼氏のことで芝居が出来なかった段階で、もう女優は辞めた方がいい。第1線まで上り詰める多くの女優は、恋より仕事を選ぶ。もの凄い強い思いを持っている。ある意味で平凡な幸せを捨ててかかっている。そこまでしないと生き残れない世界。

でも、A君の友人たちには分からない。「もう1度チャンスをやれよ〜」そんなことをして同じ失態を繰り返したらどうするのか? 今のB子の優先順位は「彼氏」が1番。「演技」は2番。そんな子をキャスティングしてまた作品存亡の危機を招くようでは後輩が監督失格となる。俳優失格というより、B子はすでに俳優ではないのだ。なのに、後輩のまわりのB子ファンたちが、彼女のブログにコメントを書き込んだ。

「がんばってください!」「これからも応援しています!」

これが一般のファンならいい。B子も良く知るA監督の友人たちからの激励。これは応援にはならない。より責任を感じて、心破れるばかり。しかし、友人たちはB子を励まそうと純粋に思っている。極端な見方をすれば嫌がらせとさえ言えるのだが、彼らは気付かない。コメント返しは誰にもなかったという。

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その後、B子は仕事がなく。引退。結婚したと聞く。A監督の作品にしか出れない子が、自分を一番評価し、期待した監督の作品で素人のような芝居をした。自分で可能性を潰したようなものだ。いや、A監督の作品さえ崩壊させたかもしれない。罪は大きい。なのに、後輩の友人たちは未だにこういってる。

「A監督は冷たい。やさしくすれば、B子はまたがんばれたかもしれない。あいつがB子の女優人生を潰したんだ!」

一部始終を見て感じた。僕も似たような経験を何度もしている。結果として言えるのは、短い間だがA監督と出会ったことで俳優になる夢も果たした。そのあと彼女は「芝居」より「恋」を選んだ。「仕事」を失うより「彼」を失いたくなかった。

だから、A監督に期待を裏切ってしまった。「仕事」より「恋」を選んだという意味でもある。両方は選べない。結婚しても女優を続ける人はいるが、その場合は「結婚」の優先順位は2番だったりする。そうでないと生きていけない業界。しかし、その世界で生きることが全てではない。B子は幸せになれたのだと思う...。

なのに、後輩の友達たちは「女優としてがんばれ!」という。仕事より恋が大切となった子に芝居でもう一度がんばれ!という。コメントを書き込む。そのくせに、プロに徹した後輩監督を批判する。その辺が一般の人には理解できない部分なのだろう。

クドいようだが解説すると、A監督の思いを例えると、巨大タンカーの船長。B子が機関室長。なのに、彼女は仕事を放棄。船が座礁しかけた。だから解雇した。対して友人の発想はこう。サークル活動に参加したとき、B子という可愛い子がいた。好感を持った。それを些細な失敗で、A監督が解雇した。許せない!もう1度チャンスを上げろよ!

同じ事実がそれぞれに、そんなふうに見えているはず。だが、映画撮影はサークル活動ではない。まさに巨大タンカーで航海するようなもの。でも、一般の人には分からないだろう。そんふうに映画の仕事はなかなか理解されないものなのだ。


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