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【なぜ、人は人を批判するのか? 自分が知らないことにまで口出しするのか?】 [My Opinion]

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【なぜ、人は人を批判するのか? 自身に関係のないことまで口を出してくるのか?】

Twitterではときどき攻撃的なリツイートをしてくる人がいる。「向日葵の丘」の映画館情報をツイートしたときも「どーせ、下らない映画なんだろ?」とかリツイートしてくるヤツがいた。

ハンドルネームは嘗めたものだし、アイコンはアニメキャラ。念のためにその人のツイートを確認するが、世間への文句ばかり。これは即ブロック。ツイートを欲求不満のはけ口にしているタイプだ。

その点Facebookは相手の身元が分かる。と思っていたのだが、そうでもない。「基本データ」を調べると、住所も、年齢も、仕事も記載されていない。顔写真は動物ーネコとか犬とか。名前も本名かどうか?分からない。そんな人があれこれ首を捻るコメントをしてきたり、勘違いなダイレクトメールを出してくることが多い。

僕の生活面や記事に対して叱咤してくる人が時々いる。が、相手がどんな人か?分からない。年上なのか? 若い人なのか? どんな仕事をしている人なのか? 例えば医療の話で、それを指摘して来た人が、医療関係なら少しばかり失礼なコメントでも読むべき意味はある。でも、何の知識もない人なら、真剣に受け取る必要はない。つまり、相手は覆面をして、顔を見せず、素性も年齢も、住んでいる場所さえ分からない。そんな人に説教されたくはない。

では、そんな人たちはどう考えてコメントしてくるのか? 彼らの立場に立ち考えてみた。僕のFacebookを見る。履歴や職業は「基本データ」を読めば分かる。「この人は映画監督か...そこそこ映画も撮ってるけど、どれも聞いたことないなあ。何だか偉そうな文章を書いているけど、そうとは限らないだろう? 何か勘違いしてんじゃないの? 誰か注意してやらないと、調子に乗って大変な目に合うよ〜。よし、俺がいってやろう」と思ったりしてコメントしてくる。

これはあの構図と同じ。テレビ番組を見ていて文句をいう人たちと同じなのだ。「この子、アイドルグループのメンバーというけど、可愛くないじゃん。これでアイドルなんて笑える。私の方がまだ可愛い。なのに、可愛子ぶってムカつく。テレビ見ている人はみんなそう思うよ。こんなの出してる局って分かってないねえ。一言注意してあげるか?」とクレームの電話したり、メールを出したり。

つまり、ネット上で「お前誰?」という文句をいってくる人というのは、テレビを見て文句をいう感覚でネットを捉えているのだろう。特に僕の場合は映画監督業という仕事なので、テレビに出ているタレントたちと同じ感覚で認知されてしまう。ネット世界の有名人も同じ。だから、攻撃されやすい。一般の人が相手でもネットで接すると、テレビタレントと同じ感覚に陥り平気で酷いことがいえる。

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実際に会うと控えめな僕の友人も、ネットでは無意味なオヤジギャグを連発する。これも同じで、よく知らない人に対して「馬鹿じゃねえの?」とは言えないけど、芸人がテレビに出ていると「バカだな〜」といえるのと同じ感覚。でも、テレビに映っている芸人に声は届かないが、ネットの相手を批判すれば、届く。考えれば分かることなのに、無意識にテレビ感覚になっている人が多い。

つまり、現実に人と会えば「この人とは初対面。年上だ。それなりの立場の人だ。***に関して詳しい」とか、考える。さらに「僕は若い、その分野は詳しくない、単なる一市民だ」とか自身のことを顧みて、相手に意見する立場ではない。「年上の人に説教すべきではない」「知らないことを反論すべきではない」と考える。それがパソコンに向かうと、そんな発想はなくなりテレビ感覚で、番組に出ているタレントを批判するように、何でも言えてしまう。

だが、その種の人たちに悪意はない。テレビに向かって悪態をつくのも憂さ晴らしであり、誰にも迷惑をかけない。テレビ局に電話をかけても、反論されずおとなしく聞いてくれる。ただ、それをネット上でやってしまうと問題が出て来る。相手を怒らせる。ブロックされる。反論される。友達がほしくて、始めたFacebookでも「友達」ができない。ということになる。そんな可哀想な、或いは不器用な人たちなのだ。ただ、この人たちを優しく受け止めると大変。

勘違い気づかず、当て外れな批判を続ける。「あんたのために言ってるんだよ」という気分のまま、慣れ慣れしく、上から目線でコメントやメッセージがくる。こちらからすると、やはり覆面をしたヤツにあれこれ、思いつきで批判されているとしか感じない。「僕のことを思ってあえて、厳しい提言をしてくれている」とは解釈できないし、実際にそうではない。でも、相手は気づかない。

結局、その種の人たちの多くは自分の立場を把握せず、コミニュケーション能力に少し欠け、「憂さ晴らし」であるのに本人的には「親切」と思い込んで、他人をあれこれ批判、説教しているのが実情だろう。そんな人は無視するか? 削除するしかなくなる。だが、そう書くとまた別の人から「心が狭い!」「冷たい」「その人も寂しいのだから優しくして上げたらいいのに」「本当は監督と仲良くなりたいかもしれないですよ」とかいうコメントやメールが来る。だが、僕は問題児学級の先生ではない。

1人2人ではない無礼なコメントに対して毎回「本当はいいヤツだ。分かって上げよう!」という対応はできない。返事するだけでも、時間を取られる。状況の理解を求めるだけでも、かなりな時間と労力が必要。さらに、相手は「親切でいっているのに!」と逆上して、さらに揉める可能性もある。

仕事でやるべきことは山ほどあるのに、それはできない。僕の仕事は映画製作だ。いや、誰だって同じ、相手にしたくない。だが、日本人にはそんなタイプが多く「大きなお世話」ということが好き。それはいい面でもあるけど、現代社会に置いては意味をなさないことも多く、むしろ事態を悪くしているだけのことが多い。そんな人たちの多い現代社会で、どのように対応し、生きて行くべきなのか? 考えてしまう。


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