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「若いのに頭固いな〜」と撮影現場で思うことがある [My Opinion]

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【「若いのに頭固いな〜」と撮影現場で思うことがある】

「何でそんな古い発想しかできないんだ?」と年下のスタッフを見てイライラすることが時々ある。が、よく考えてみると、そのスタッフは僕よりは若いがもう40代。決して若くはなく、もうオジさんと呼ばれる年代。そういえば昔、ある人から言われて「へーーそうだよなあ」と思った言葉がある。

「10代は新しいことを当然のように吸収する。20代はちょっと努力がいる。30代はかなり苦戦する。40代は拒否して、そんなものは必要ない!といい出す….」

これは当時、僕のまわりにいる人たちを見ても納得したものだ。例えば、ヒット中の歌謡曲があったとして、10代は皆知ってる。20代は「CMでかかってるやつね?」といい、30代は「今度、チェックしておく」40代「そんな歌知らなくても、困らないんだよ!」と怒り出す。要は、歳と共に脳が老化して、新しい情報を受け入れにくくなっているということなのだ。スティーブン・ジョブスが若い頃にいった言葉でも、思い出すものがある。

「体験は人を助ける。いろんな経験をすることが人生を助ける。でも、経験はレコードに溝を彫って歌を記録するのと同じで、一度記録すると消すことができず、その後もそれの経験に縛られてしまう。それが結構、やっかいなんだ」

僕が20歳ころのインタビューで読んだので、もう30年以上前。当時、僕は深く意味を理解していなかったが、次第にその意味が体験を通じて理解して行く。そう、一度、経験したこと。教えられたことを人は繰り返し。新しい方法論が出て来ても、それが受け入れられないのだ。映画の撮影現場ではそれが顕著に分かる。古い監督はフィルムにこだわり、ビデオとかハイビジョンを毛嫌いした。

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しかし、ビデオの方が遥かに安上がり、現像代もプリント代もいらない。撮ってすぐに再生できる。編集も楽。なのに、古い監督たちはフィルムがいい!と譲らない。もちろん、クオリティはまだまだフィルムの方が上で、最近の4Kカメラになって、ようやく追いついて来た程度。

だが、いろんな面を考えると、ハイビジョンはとても便利。そう説明しても、古い映画人は「やっぱ映画はフィルムなんだよ!」と言い張っていた。フィルムだけではない。演出、撮影、編集等の方法論も伝統的なやり方を重んじて、新しい方法論を持ち出すと、「どちらがいいか?」ではなく、「それは邪道だ」「映画はそんなやり方はしない」という、もう絶対的な思い込みがあり、新しい方法論を否定していた。そして誰一人として、新しい方法論に「時間の短縮」「製作費の有効活用」等の利点に対して、論理的に答えるものはなく、「映画はそれじゃ駄目なんだよ!」と意味の分からぬ反論。それも感情的になることが多かった。

要はそういうことではなく、昔から使っている慣れ親しんだフィルムで仕事をしたい。新しい技術を学ぶのは嫌….ということ。先の友人の言葉でいうと「40代は拒否する」というやつなのだ。今ではフィルムで撮影する日本映画は1年に1−2本。フィルムで撮りたいなんていったら、会社に「何考えてんだ!」と怒られてしまう。そんなふうに近年の映画界は新しいもの、新しい方法論を受け入れないと仕事もできない。生き残ることもできない状態になってきた。にも関わらず、僕より若いスタッフ。

といっても40代が撮影でも、演出でも、編集でも古い価値観を振り回すヤツがいる。そして、歳取った先輩たちと同じようなことをいい、頑になる。何で? 若いのに? と思っていたら、実は彼らを育てた先輩たち、或いは彼らが長年仕事をした先輩というのが、結構、高齢の人で、もちろん、僕よりずっと上であることが分かる。つまり、僕が「この人頭古いなあ」と思っていた先輩たちから直に、映画技術を教わった世代なのだ。その先輩たちから伝授される技術、方法論こそが「映画作り」と若い頃から思い仕事をしてきた。ジョブスのいう「一度、刻まれた記憶は消せない」ということなのである。

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そのため、若いのに古い価値観をふりまわし、現場の進行を阻害するのだ。僕より上の世代。古い価値観を振り回す先輩たちが近年、どんどん引退して、ようやく自由にやれるようになって来たなあーと感じていたのに、次世代に同じ古い価値観を振り回すタイプがいようとは、思いもせず困惑することがある。基本、映画というのは各パートで、上の人に師事して勉強しながら仕事をする。だから、先のようなタイプも出て来るのだ。監督業も昔は、助監督システムで、ベテラン監督に師事。10年ほど助監督をしてから、監督になったのだが、今は助監督経験なしに、自主映画等を経験して、いきなり監督ということがほとんどだ。

僕もそんなコースで監督になったので、古いベテラン監督を見て、演出を学んだ訳ではなく、8ミリ映画で実践。自分なりにあれこれ考えて、或いは聞いた話や読んだ巨匠のエピソードから学んだ方法論で演出する。そのために、ベテランの方々観ると「何だあれは? 映画の作り方じゃねえなあ。駄目だ。ありゃ。うるさくいってやんないと、ろくなものが作れねえよ」と思い、あれこれうるさく言われたのである。だが、彼らの主張する王道、伝統的な映画製作では、これまでと同じ、よくあるタイプの映画しか作れない。

おまけに、製作費、撮影期間はどんどん削減されて、旧き良き時代の映画作りとは同じ条件で製作はできないのだ。にも関わらず、お金も時間もないのに、古い価値観で映画を作るので、過去の作品以上のものができない。それに気づかず、古いやり方を繰り返していた。そこで、僕は自主映画時代に試行錯誤して体得した時間も製作費も節約しながら、クオリティを上げる方法論を実践したのだが、多くのベテランスタッフらの逆鱗に触れ、よく説教されたものである。


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でも、それがいよいよフィルムが使われなくなり、編集もノンリニアしかなくなり、あらゆる意味でデジタル化が進んで今日では、過去のやり方が実践できなくなってきた。むしろ、僕がやってきた新しいスタイルを使う若手監督も増え(別に僕が開発した訳ではない、ハリウッドスタイルと自主映画のいいとこ取りの方法論だ)そちらが、マジョリティになって来た訳である。また、「邪道」といわれ「これじゃロクな映画にならない」といわれた僕の映画が彼らの不安に反して観客から高く評価され、彼ら自身も認めざるを得ない完成度になったことから、次第にうるさくいう先輩たちもいなくなった。

それでも次世代にその先輩たちの価値観を引き継いだ人たちもいるのだが、こうして新しい時代がやって来ることを感じる。次は僕のやり方が古くなり、さらに下の世代から「太田監督は古いんだよな〜」と言われるようになり、疎まれる時代が来るのだろう。いずれにしても、伝統も大事だが、時代の移り変わる中で大切なのは、その時代に相応しい方法論を使うことだ。映画だけではない。ビジネスでも、音楽でも、演劇でも、公共事業でも、コンピューター産業でも同じはずだ。

それを妨げるものこそ、実は人の老化。脳の老化なのだ。新しいものが受け入れられないということは、時代から振り落とされることでもある。昔はそのスピードがゆるやかだったが、今はもの凄い早さで時代が進む。昔は歳を取れば威張ってられたが、これからは若い人の方が時代を生抜ける力があるということ。その中間の世代はこれから大変な思いをするだろう。もちろん、僕を含めて。

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