【なぜ、「向日葵の丘」を2度3度と観るリピーターが多いのか?】② [2倍楽しむ方法?]

【なぜ、「向日葵の丘」を2度3度と観るリピーターが多いのか?】②
昨日の記事。非常に評判がよく、50「いいね」を超えた。そこで、リピーターの多い秘密をさらに紹介する。
「向日葵」はとってもリピーターが多い。いくつもの映画館側からもそう言われた。が、それは今回に限ったことではなく、前作の「朝日のあたる家」も、その前の「青い青い空」も、デビュー作の「ストロベリーフィールズ」もそうだった。僕としては特にそれを意図して映画を作っていないのだが、なぜか? 毎回、リピーターが多い。30回、40回見てくれた人もときどきいる。そんな人たちに訊くと、こう言われる。
「毎回、感動するシーンが違う」
???何で、同じ映画だし、同じストーリー。なのに感動するシーンが違う? その理由を考えてみた。通常の映画。例えばミステリーは犯人が誰か?分かると面白くない。つまり、ミステリー映画は2度観ると面白さが半減する。
アクション映画やサスペンス映画も同じ。どうやって地球壊滅の危機を止めるのか? どうやって悪の組織を殲滅するのか? という戦い。それが分かって観るとハラハラしない。なので、アクションやサスペンスものも2度3度観れない。では、「向日葵」はなぜ、2度目でも3度目でも観れるのか?

具体的に説明しよう。「向日葵」では余命数ヶ月の親友に会いに行く物語。これがサスペンス映画やSF映画なら「親友の命を救えるか?」というハラハラドキドキのストーリーになるのだが「向日葵」はそんな物語ではない。特効薬を開発したり、神懸かりな力で病気がなる話ではない現実的なストーリー。或いは、「死ぬ」「死なない」のサスペンスなら、最後に親友が死んでしまうことが分かれば、ミステリー映画と同じように興味が半減する。
だが、「向日葵」はそんな話ではなく、文芸作品のように淡々と物語が進む。多香子(常盤貴子)にはみどり(田中美里)を救う力はない。現実にいる一般の人たちと同じ。なので観客は1回目に映画を見たときはこう思う。
メール連絡がある=>誰だろう?=>昔の親友が病気だと分かる=>本当だろうか?(エリカも疑うし)=>故郷へ戻る=>高校時代の回想
ここで観客は多香子たちの過去を知り、事件を知り、みどりと仲直りしてほしいと感じる。もし、病気なら助かってほしいと思う。
以上のような形で観客の思いは進行。しかし、期待を裏切り。みどりは短い人生を終える。ただ、物語の焦点はそこばかりでなく、故郷に戻った多香子の視点で変わり果てた町を見つめることになる。30年近い歳月。みどりだけでなく、多くの人が逝ってしまった。その寂しさと無常を感じる。だからこそ、観客はみどりを救えないものの、何か思い出に残ることをしてあげたいと願う。そして=>上映会。という展開になり、様々なことを感じる。

これが1回目の印象である。簡単にいうと「死に行く友達のために思い出を作る物語」である。が、2回、3回観ると、ストーリーは分かり、親友が病気であることも死ぬこともすでに知っている。1回目は
「本当かな?」「何とかならないかな?」「何か思い出作って上げられないかな?」
と思いながらドキドキして観るのだが、2回目以降は知っているので、そこにドキドキはしない。だが、多香子が親友が不治の病であることを知り、故郷に戻るあたりから、「本当に病気かな?」ではなく
「もし、私の親友が不治の病ならどーするかな?」と考える。「何ができるだろう?」「どー声をかけるだろう?」
自身のこととして考えてしまう。故郷に戻って、変わり果てた町を見たときは、我が故郷を想う。みどりから親しかった人たちの末路を聞くときは、自分の友人や子供の頃にお世話になった人たちのことを思い出す。
つまり、1回目は多香子の目を通して、みどりや町の人たちの悲しい人生を見つめ涙するのだが、2回目は自分の人生をダブらせて考える。駄菓子屋のおばちゃん。担任の先生。お店のおじさん。そんな人たちが何ら悪いことはしていないのに、悲しい末路を遂げることがある。あんなに努力していた人が、なぜ、あんな目に遭うのか? 人生って何だろう? そんなことを映画を観ながら考える。

そんなふうにしてストーリーが分かっているのに、1回目とは違う論点で物語を見つめる。登場人物、変わり果てた町を見て、忘れていた記憶を思い出す。そう、思い出のアルバムをめくるように。2度見ても、3度見ても退屈せず。泣けてくるのは、そんな自分の思い出や記憶を多香子と共に旅するからなのだ。ある女性からこう言われた。
「私も多香子と一緒に、故郷を旅している気持ちになりました」
まさにそれ。現代社会では時間があっという間に過ぎ去り、いろんなことを立ち止まって考える余裕がない。大切なことを忘れ、目の前のことに振り回される。そんなとき「向日葵」を見ると、自分自身を見つめることが出来、忘れていた思い出や友達。家族のことを思い出し。感謝や謝罪や、いろんな思いを確認してしまう。
そして、心優しき登場人物たちが哀れな末路を遂げる。親友を救うこともできない結末に「人生って何だろう?」と考える。忙しい日常生活ではなかなか考える機会がないことを考える。そして、幸せになれないと感じていた日常なのに、映画を見て、小さな幸せが身の回りにあることに気づく。「そうだ。幸せはある。もっと他にもあるかもしれない」
そして、忘れていた友達のことをもっと考えたくて「向日葵」をもう一度見てしまう。そう「向日葵」はある意味でタイムマシーン。自分を懐かしい青春時代に連れて行ってくれる。でも「懐かしいね」「いい時代だったね」では終わらず。忘れていた大切なことを思い出し、考える機会が持てる。それが魅力となり、2度3度見てしまうのだ。他にも理由があるのだけど、あなたはどうだろうか?
大阪公開は1ヶ月のロングランとなり、昨日で終了した。残るは埼玉の深谷シネマ。5日の土曜日まで上映しているので、1度見た方もぜひ、「向日葵」で過去を旅して、この記事が正しいかどうか確認してほしい。

2015-12-03 13:43
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