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昔から会ってみたかったある芸能人(上) 俳優でも歌手でない。あの人だ? [映画業界物語]

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【昔から会ってみたかった芸能人。俳優でも歌手でない。あの人だ】

「芸能人に会いたい!」と思ったことは昔からなかった。だから当時から「変わり者」と呼ばれていたのかも? でも、会ってみたい。お話をしたい人が1人いた。俳優でも、ミュージシャンでもなく、お笑い芸人だ。僕の映画は青春感動作が多く、コメディは作ったことがないが、関西育ちのせいか? お笑いは好きでよく見る。といっても、企画もののバラエティは好きではなく、芸を競う番組が好き。昔でいうと「THE MANZAI」とか今も放送している「ものまね歌合戦」とかはよく見ていた。

とにかく漫才でも、ものまねでも「芸」を見せてくれる番組が好き。なので、近年の「金曜エンタ」とかは首を傾げた。おもしろい芸人さんもいるが、多くが一発ギャグやどこが面白いのか分からない妙なパフォーマンス。たぶん、かなり若い層を狙ったためかも?と思うが、不満が残った。

実際、そこで一世風靡した芸人たちはほとんどが一発屋で終わっている。芸人に力がないというより、多分、局側が芸の使い捨てをしたのが原因だろう。お笑い芸人さんの努力というのはヘタな俳優よりずっと凄いものがあること。よく聞く。それを窓口を狭めて放送するのに都合のいい、短時間でのコントやギャグのみを受入たことで、一発芸ばかりになったように思える。

が、テレビはどーしてもタレントの使い捨て、その中で生き残るというのは、もの凄いこと。それを30年。その世界で君臨している人がいる。ものまねタレントのコロッケさん。そう。彼こそ。僕が以前から「会いたい!」と思っていた唯一のタレントさん。80年代のデビューからものまね一筋で、テレビ、舞台で活躍。未だに走り続けている。そして彼がスゴイのは単に「似ている!」ということだけではなく、それを超えた表現

ご本人に似ているというだけなら、他にもいる。が、それをエンタテイメントにしてしまったのはコロッケさんだけだ。「それは本人とは違うだろう!」といいたくなる表現であっても、どこかに本人があり、観客を笑わせる。もう、「似てる〜」ということで喜ぶレベルでなく、ひとつ上のステージでエンタテイメントしているのだ。こんな表現ができるのはコロッケさんだけ。

しかし、そんな彼を見ている多くの視聴者はこう思っているに違いない。「コロッケはいつも面白いなあ」「よく、そこまでやるよな〜本人が見たら起こるぜ。ははは」この辺はいい。サラリーマンの友人にはこんなことをいう奴もいる。「コロッケっていつもテレビで馬鹿やって、楽しそうでいいよな。俺なんか毎日、朝から晩まで仕事仕事で、楽しいことなんてないよ」ーーそうだろうか? コロッケさんは本当に番組で楽しくものまねをやっているのだろうか? 

僕も最初は笑いながら彼の芸を見ていたのだけど、その内笑えなくなった。確かにコロッケさんは番組内で本当に楽しそうにものまねをしている。本人の前で暴走したりする。けど、よく見るとコロッケさんの目は笑っていない。そして、芸が終わっても、司会者が質問するときも、素に戻っていない。他のタレントは芸が終わると、ホッとして素が見えるのに、コロッケさんは違う。何なのだろう?
気になり、毎回、彼の言動や行動を注目した。

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これは僕の推理だが、映画監督業という職業柄もあると思うのだけど、コロッケさんは、ものまねタレントであるコロッケを演じているのではないか? ものまねが楽しいというより、いつも陽気なコロッケという芸人を演じているのではないか? 友人のいうように、楽しく番組でモノマネをしているのではなく、司会者に答える部分まで全て演じているのではないか? つまり、ものまねを含めた彼の存在自体が「芸」であり、エンタテイメントしているのではないか?

では、彼の素というのはどうなのか? 友人たちのいうように「陽気で楽しいおじさん」ではないだろう。想像だが、起きてから寝るまでずっとものまねのことを考えている。「***さんのマネをするとどうなるか?」「そこに***君を混ぜるとどうなるか?」「そのまま、怪獣になるとどうだろう?」とか、食べるときも、テレビ見るときも、仕事の打ち合わせでも。とにかく、ものまねのことを考え続けているのではないか? 

多くのタレントは仕事を終わって飲みに行けば、羽目をはずしたり、若い女の子とはしゃいだり。オフで自宅にいればボーと野球見たりして過ごす。けど、コロッケさんというのは、起きている限り、ものまねを考え続ける。いや、夢の中でも考えているのではないか? ものまねに人生を賭けているな...と思える。友人は反論する。

「そんな訳ないだろう? テレビで馬鹿やってるじゃん!」

だが、「馬鹿だな」と思わせて、笑わせるのがタレントの仕事。本当のバカではない。が一般の人はそこが分からない。そして、彼が「コロッケ」というタレントを演じていることが分からず、自分が見ているその人がコロッケだと思い込んでしまっている。

言い換えれば名優というのは演技を忘れさせる。デニーロの芝居なんてまさにそれ。観客は「この人は俳優のデニーロ」と知っているのに、ボクシングのチャンピオンだったり、マフィアのボスだったりと、そのものだと思ってしまう。まさにそれと同じ。彼はタレント・コロッケを演じており。素顔を決して見せない。その素の部分はひたすらモノマネを考える研究者のような真面目な存在と思える。


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小説家とか、漫画家とか、その世界で成功している人を見ていても同じ。何を見ても「これは小説の題材にできないか?」「これを漫画にすると面白いかも?」とか考えている。つまり、コロッケさんは芸人というだけでなく、クリエーターとか、アーティストというカテゴリーの人かもしれない。けど、友人は納得しなかった。

「まあ、才能はある人だと思うけど、陽気でおもしろいおじさんなんだと思うよ。面白いから人気がある。それだけじゃない?」

んーーー違う。だが、この僕の推理は理屈ではなく、感覚的な部分が多い。刑事コロンボのような論理で犯人を導き出す手法ではない。ただ、僕がキャスティングをするときは、閃きで選ぶ。プロフィールに書かれた経歴も読むが、「この子は****な部分がある!」と感じて選ぶ。結果、あとになって、それは当たっていて、見事な演技をしてくれたり。演技力でなく、その人の背景や考え方を見抜けないと、キャスティングは失敗する。

その経験からコロッケさんの芸の背景を何年も考えていた。そのコロッケさんと、お会いする機会があった。今回の「向日葵の丘」の宣伝で彼のFM番組にゲストで出してもらえることとなった。おっしゃー! ナマ・コロッケさんに会える。果たして僕の思う人なのか? 次回。その辺の話をお届けする。(つづく)


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