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日本版「ニューシネマパラダイス」と宣伝するのに、実はそうではない話? [インサイド・ストーリー]

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「向日葵の丘」は日本版「ニューシネマパラダイス」と宣伝しているが、実際はそうではない。ああいう映画を作りたくて製作したのではない。「ニューシネマ」を観たのはアメリカ留学時代。シネフレックス・オデオンというシネコンのチェーンで観た。アカデミー外国映画賞も穫り、アメリカでも人気の映画だった。

観て驚いたのは、主人公のトトと僕は似たような人生を送っていたことだ。トトほど幼くはなかったが、中学時代。僕も勉強より映画が好きで、映画館に通い、支配人と親しくなり、いろんな話を聞かせてもらった。

その後、町を離れる。当時はLAにいて、「あーー同じだ」と共感した。映画を観てから20年少々。さらなる奇遇は続く。僕はトトと同じように、映画監督になり、町に戻る。すでに映画館はなく、支配人はどこに行ったか?分からなかった...。

その思い出に、8ミリ映画を撮っていた1983年夏の思い出。さらには後日紹介するLAでの思い出の3つを合わせて「向日葵の丘」という物語を作った。意地の悪い人は「ニューシネマ」のパクリというが、あの日本版がやりたかったのではなく、あの映画と非情に似た経験をしていて、それをベースにしたということなのだ。

そんなふうに「向日葵」はいくつもの側面を持つ物語。友情あり、青春あり、親子の絆あり、映画研究部の話あり、再会物語あり。それをどうアピールしようか?考えて、日本版「ニューシネマパラダイス」というキャッチコピーを考えた。あの映画の日本版を作ろうとした訳ではないが、そういう説明が一番分かりやすいからだ。

「ニューシネマ」もたぶん、あの監督の自伝的な作品だと思える。彼自身の経験、思い出をベースに作っているだろう。だから、作られたものではない感動がある。同じように「向日葵」も僕の思い出が数多く、散りばめられている。だからこそ、多くの観客が感動してくれたのだと思える。

先にも書いたが、物語は机の上で想像して書いたものでは観客を感動できない。本当にあった、現実の話をベースにすると不思議なくらに伝わり、感動を撒きこす。今回の「向日葵」でも、改めてそれを感じた。


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