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編集はセンス。それが一番欠けるのが年配の男性? [映画業界物語]

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撮影した映像を編集することで、演技の間を延ばしたり、縮めたりすることで、その演技をより良いものにする。或いは、不自然な演技を自然な演技にすることができる。「愛してる」と男がいったあとに、「私も」と女が答える台詞があったとして、すぐに「私も」というのと、少し間があった場合。その意味さえ違って来るからだ。

だが、「間」何秒あれば感じが出るか? そこに決められた答えは無い。編集するものの「感性」や「センス」で決めるしかないのだ。以前、ある映画で粗編したものをプロデュサーに見せたら。「この間は長過ぎる! さっさと、台詞を言わせた方がいい!」と指摘された。が、その場面は間を十分に空けないと感じが出ないのだが、その理由を言葉で説明するのはむずかしい。というより無理。センスの問題なのだ。

そのPがセンスがある人の場合なら「もう2秒。間が短い方がいい」「いや、1秒でいい」という具体的な議論ができるが、センスのない人であれば、どう説明しても理解してもらうことはできない。ただ、多くのPはセンスがない。さらに致命的なのはセンスのない奴に限って「俺はセンスがある!」と思っている。(もちろん、いいセンスのPもいるにはいるが、やはり少ない)

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センスがないことを指摘するのも難しい。指摘しても、そんなPに限って「センスがないのは、お前の方だ!」てなことを言い出す。まさか10人に見せて、間があった方がいいか? ない方がいいか? アンケートを取ることもできない。そんなセンスの問題が何十カ所も出て来て、昔はよく揉めたものだ。

総じて、センスの良さは若い人。そして女性に多い。もちろん、センスのない若者や趣味を疑う女性もいるが、明確に言えるのは一番駄目なのは年配の男性ということ。そしてPというと、見るからにセンスのないオジさんということが多い。80年代に日本映画を駄目にしたのは、その種の人たち。僕が監督業をスタートした頃はまだまだ、そんなタイプがいて悩まされた。(今も生存しているが)

しかし、そんな間の取り方で泣けたり、感動したりする。そこにセンスがないと、泣ける場面で泣けない。感動する場面で感動できないといことになる。僕は言い出したら聞かず、その映画のときも自分の編集で押し通した。Pからは「誰もが席を立って出て行く、最低の映画だ」と面と向かって言われた。勝負は一般試写。コメディなら笑いが起こればOK。感動ドラマなら泣けば合格だ。

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試写会では皆、号泣。拍手まで起こった。映画館公開されてからも場内は涙の連続だった。が、そのPは初号試写しか見ようとせず、(初号はスタッフと関係者が見るので、自分のパートの出来、不出来が気になり物語で泣く人はまずいない)その後も「これは失敗作だ」と言い続けた。

でも、その作品を見て「感動した!ぜひ、一緒に映画を作ろう!」というPと出会い仕事をした。なのに彼も編集になると「ここは違うんじゃないか?と言い出した。結局、Pという人種にセンスを理解させるのは不可能だと思えた。その後、プロデュサーは雇わず、僕自身がPをすることにした。

そもそも、編集に関してPがあれこれ指摘するべきではない。監督がこうだ!といえば、それを信じて応援する以外にない。もし、監督にセンスがなければ、1、2カ所くらい意見して直しても全体として失敗作になってしまう。それが分からず、今もセンスのない人があれこれ口出す話はよく聞く。でも、いつしか僕自身が最もセンスのないオジさんの年になっている。

「俺は違う」と思いながら、間違ったセンスで編集していないか? といつも考えてしまう。あのとき、僕の編集を無神経に批判したオジさんたちと同じで「俺は正しい」と思っているのではないか?そんな不安も常に付きまとう。編集はセンス。それを失ったらおしまいなんだ。


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