この間まで17歳だったのに、気付くと50歳を超えていた...。 [My Opinion]
気がつくと、もう50歳を超えている。子供の頃は50といえば、もう老人だと思っていた。確か「駅station」の頃の高倉健が50歳。「へー50歳なのに若い」と思ったものだ。が、実際の50歳はどうだったのか? 確かめることもしなかったが、両親より歳が上ということで、老人と思えたのだろう。
その50歳を超えてしまったが、気分は17歳から成長していない気がする。同級生たちは結婚して、子供が出来て、その子がすでに働いていると聞くと、時代の流れを感じる。が、こちとら結婚もせず(できず)、就職もせず、相変わらずギリギリの生活だし、30年前のほとんど変わっていないので、年取った実感がない。
昔からの目標だった映画監督になり映画を撮れるようにはなったが、学生時代から8ミリ映画を作ったりしていたので、それが今はプロの俳優が出演してくれて、プロのスタッフが支えてくれるという変化があるだけで、基本やることは同じ(?)。
そんな撮影現場でも、今では一番か二番目に年上。いや、年寄りになってしまった。なのに、未だに気分は17歳だ。今も「だから、大人は信用できない」と言ってしまう。年下のスタッフの方がしっかりしていて、十分に大人だったりする。ただ、僕より若いのに、頭が固く、古い価値観を振り回す奴がときどきいて「若いのに、年寄りみたい」と思うことがあるが、そいつも40代。十分に頭が古くなる歳なのだ。
しかし、映画監督なんていつまで続けられるか分からない仕事。作品がヒットしなければ次の仕事はない。有名監督なら、大学で講師をしたり、テレビでコメンテーターをしたりということもあるが、僕にそんな知名度はない。嫁や子供養う経済力も今時の無名監督はないので、なかなか大変。
ただ、自分が作った作品を観て、1人でも2人でも感動をし、涙を流し、小さな希望でも感じてくれれば、報われる。だから、毎回、遺作と思って映画を作る。次を作るために、まわりに良い顔をして、作品クオリティを下げることだけはしたくないからだ。例え嫌われても、良い映画を作る。
でなければ、監督業を続ける意味はない。てな具合に大人の発想がなく、今も精神年齢は17歳なのだ。でも、だから映画が作れるのかも? そんな僕の映画で感動を日本中に伝えられるのなら、そこで終わってもいい。そんな思いでここまで来た。どこまで走って行けるか?分からないが、もう少し走り続けてみる。
2015-06-20 09:30
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