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町おこしのための地域映画が成功しない理由?④ 地元がシナリオを歪めてしまう? [町おこし映画の問題点]

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映画を使って町おこし。各地で行われている。巨額な広告費を使ってテレビ、新聞で町をアピールしなくても、映画のロケ地になれば何億円もの対費用効果となる。だが、観光地や歴史的に重要な町でないと、なかなかロケは来てくれない。

そこで自治体やフィルムコミッションが様々な協力をすることで、ロケを誘致する活動が活発だ。中には製作費を支援する。或は、全額出資することで、町が映画を作ってしまおう!というところもある。

ただ、町のアピールのため!とがんばったことが、映画をダメにして、詰まらないものにしていることが多い。そのために客が来ない。東京の映画館で公開できない。ヒットしない。ということになり、宣伝にはならず、大失敗することが多い。

だが、なぜ失敗したか? 地元の人たちは気づくことは少なく、あれだけ撮影は盛り上がり、地元上映も盛況だったのに、東京ではヒットしなかったのか? と不思議がることになる。それは前回に紹介した話と同じ構図で、町の人が見た地元映画と、東京で観る人の視点が違うからである。

映画を作るとき、まず大事なのはシナリオ。町側が製作費を出し、撮影する場合は脚本家に町がアピールするような要素を入れることを望む。また、すでにシナリオが出来た作品に支援、協力する場合も、同じく、町をアピールする要素を入れたり、いくつかのシーンにそれを書き足すことを、お願いする。

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製作サイドは様々な協力をしてもらう地元のために、その種の要求を受け入れシナリオを直す。だが、その種の行為が映画をダメにするプロローグとなるのだ。

そもそもシナリオというのは、無駄があってはいけない。主人公が朝起きて、歯を磨き、着替え、朝ご飯を食べ、電車で通勤し、会社に着き、仕事を始めるというのを延々描くことはない。「映画は省略の芸術」と呼ばれるように、無駄を省きながら、主人公を紹介。物語を進める。何の意味もないのに、主人公が延々、デスクワークをしている場面を描くことはない。

無駄がないのがシナリオ。なのに、地元からこう言われる。「この町は大根が有名なんです。大根を食べて、その魅力を語るシーンを入れてほしい」支援してくれる町なので、脚本家は何とかしようと考えるが、シナリオには食べるシーンがほとんどない。仕方ないので、夕食のシーンを作り、そこで主人公が「やっぱり、この町の大根はうまいなあ。さすが、生産高、日本で第二位のことはある」という台詞を入れる。

だが、それを観た観客はどう思うだろうか? 「何で、ここで大根の説明が出てくるの? 本筋とは全然関係ないだろ?」鋭い人は気づく。「ああ、タイアップか! 地元に頼まれて無理矢理に大根を褒めるシーンを入れたのだ」それに気づくと、「結局、この映画は町を宣伝するのが目的だな? あーやられた!」と感じる。

そんなふうに、町の名産品。町の産業。町の歴史等をことあるごとに、劇中の誰かが紹介するシーンがある。それが事件の鍵になるならいいが、ストーリーとは関係がない。或は物語を中断させる。そんなことをしていて、映画は盛り上がるだろうか? 面白くなるだろうか? それは省略の芸術映画で最もやってはいけないことなのだ。


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ストーリーと関係なしに地元をアピールする場面が出てくるというのは、テレビドラマの間にCMが入るようなも。テレビドラマは無料で観られる。だから、ある町を宣伝するCMが途中にあっても、文句は言わない。でも、映画は上映時間に合わせて、交通費を払って、映画館に行き、高い入場料を支払い観るもの。それは娯楽や感動を求めるからだ。だのに、そこで町の宣伝が何度も入る映画を見せられたら、どうだろう?

「何で金払って、町のPRを観なきゃいけないの?」と不満に思うだろう。何より、そんなふうに町の宣伝で物語が寸断されれば、面白くなる訳がない。結果、感動できない。泣けない。笑えない。入場料を払って、PR映画を観た気分になるのだ。

だが、町の人たちはそうは思わない。「映画館に来たお客さんに、町の魅力を伝えた!」と考える。それがテレビの旅番組ならその通りだ。が、それを映画でやったら、お客は怒るだけ。ということが想像できていない。つまり、映画で町を宣伝と考える人の多くは、映画とCMを混同しているのだ。

映画館で2時間のCMを見せられたら、誰しもうんざりするのは分かる。映画館では物語を見せなければならない。それも感動や笑いのある物語。町のPRや歴史を観にくるのではない。それを勘違いしていることが多い。

なのに地元では、とにかく「大根を出してほしい」「町の歴史を語ってほしい」と要望する。それが映画の中で描かれれば、大喜び!「これで宣伝になる!」と考える。が、映画館で観たお客は「何で、金払ってPR見せられるの!」と不満しか残らない。これが「町おこし」のために作られた、多くの作品がたどり着く結末なのだ。

得するのは誰か? 町のPRにはならない。映画も完成度の低いものになる。ただ、プロデュサーは地元の支援、協力で製作費を節約することができる。全額出資なら、それなりの手数料が入る。大ヒット映画や名作を作らなくても、製作会社はそれで儲かる。もともと、映画に愛情のないプロデュサーは多い。もちろん、地元への愛もない。そんな人を喜ばすだけで終わるのが、多くの地域映画なのだ。

では、どーすればいいのか? それはまた別の機会に説明しょう。

 つづき=>http://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp/2015-05-17-1





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