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深夜に目が覚めた。こんなこと久々? この38年を振り返る。 [私の日常]

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やることがあり過ぎて時間なく、新聞も溜まる一方。「報道ステ」も録画しているが、なかなか見れない。朝起きてからすぐにパソコンに向かい、ランチを食べてに外出する以外は仕事場で作業。

新しい情報を得る時間がないと、次第に無人島の住人になってしまう。とはいえ、新作映画「向日葵の丘」のポスター、パンフ、チラシ、プレスシートは現在、デザイナーさんが作業。記事はライターさんがリライト中。その隙に僕は予告編を作る。

昨日はネット版の特報②を上げて配信。次は映画館用の予告編を作る。編集というのは時間がかかるもので、またまた朝から晩までパソコンに向かうことになる。そんな人生を送っているとときどき、立ち止まり。振り返る。特に今夜のように真夜中に目が覚めたとき。

高校時代はよく朝まで起きていて、そのまま学校へ行ったりしていた。今はパソコンがあるが、あの当時は深夜テレビやラジオ。或いは映画雑誌を朝まで読んでいた。

高校卒業後の横浜時代も、よく朝まで起きていた。その頃もまだパソコンはなく、といって深夜ラジオを聞くのも卒業。The Whoの2枚組アルバムを通しで聴いたりしていた。4畳半一間の下宿アパート。

アメリカ留学時代も同じ。深夜の映画劇場をよく見ていた。夜中にはよく日本の特撮映画が放映された。「緯度ゼロ大作戦」「ガメラ」「ジャイアントロボ」(テレビシリーズの方)英語に吹き替えられたのを見ると不思議な感覚。主題歌だけは日本語だったりする。

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そして、帰国して東京の生活が始まる。バイトをしながらシナリオ書き。5年ほど、そんな生活を続けた。西新宿の6畳一間のアパート。朝まで執筆。でも、さすがに10代のように行かず。そのままバイトに行くと倒れそうなので、数時間、寝る。昼前に起きてレンタルビデオのバイトへ。

5年後に脚本家デビュー。さらに2年後に監督デビュー。さらに8年かかって映画監督になった。そして今、もう50歳を超えてしまった。昔は50歳といえば老人だと思っていた。けど、実際になってみると、10代の頃とあまり変わっていない。体力は落ちたが、あまり成長していない。

10代の頃から映画が好きで深夜劇場を見ていた。今はその深夜に自分の映画の宣伝準備をする。ただ、ハリウッド映画の監督たちのように大金持ちにはなれず。日本の映画監督はサラリーマンより貧しく、その割に休まずに長時間労働。ブラックどころではない。

しかし、多くの人が映画の公開を待ってくれている。作品はすでに完成。今は宣伝準備。ポスター、チラシ、プレスシート、パンフレットと、作らねばならないものがたくさんある。

本来は配給会社の事業部のようなところが全てやってくれて、「監督。これでどうでしょうか?」と言われるだけなのだが、僕は毎回、自分でデザインまで考えてやってしまう。当然、ギャラはなし。でも、今時の映画ってポスターもチラシも本当に手抜き。それで観客に思いが伝わるのか?と思える。

やはり、作品を作ったものが、宣伝にも加わらないと、せっかく出来た作品を伝えることができない。ま、そんな訳で連日、仕事に追われている。疲れ果てて、深夜に目が覚めることなどめったになかったのに、なぜか今夜はこんな時間に起き、Facebookを書いたりしている。

トニーベネットの「I Left My Heart in SunFrancisco」を聴く。サンフラシスコは友達が住んでいて、フッシャマンズワーフのパビリオンでこの歌を聴いたのが印象的。でも、今は東京。この先の人生。どうなるのか?分からないが、夜はどんどん更けて行く。


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