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僕にとって映画は「芸術」というよりは観客をハッピーにする「物語」かも? [My Opinion]

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「私の映画は分かる人にだけ分かってもらえばいい」

といったベテラン映画監督がいた。彼の映画は非常に難解でむずかしい。何でそんなものを撮るのか?と学生時代は思った。ある芸術家の先生にはこう言われた

「お前はこれが撮りたい!誰がどう思おうと、これを撮る!というものはないのか?」

どうも芸術家の方々は自分が描きたいものを描くのが、好きなようだ。いや、芸術とはその通りなのだが、映画は「芸術」でありながら、「娯楽」でもある。作家が一方的に描いた意味の分からない作品を見せるというのはどうなのか?と昔から思えていた。

ハリウッド映画で育ったせいか? エンタテイメントであることは、とても重要だと考えていたが、20代に自主映画をしていた頃。映画学校に通っていたころのクラスメートはハリウッド映画をバカにして、訳の分からない前衛映画や芸術作品を評価して、自らもその手の作品を作ろうとしていた。だから、昔から僕は結構、浮いた存在だった。

思うのだが、映画って、絵画や彫刻と違って、もの凄い額の製作費が必要だし、映画館で上映するには多くの観客に観てもらう必要がある。だから、芸術映画であるより、娯楽であることが大事ではないか? そんなふうに考えていた。そして、作家が「これを描きたい!」ということも大事だが、観客が求めるものに応えるのも映画の使命だと思える。

例えば「お笑い」。漫才でも、落語でも、「俺はこれを聞かせたい!分かる人だけ分かればいい」では通用しない。やはり、お笑いは観客を笑わせてこそ意義がある。同じように映画はハラハラしたり、笑ったり、感動したり、泣いたりできてこそ映画だと思うのだ。観客がウンともスンとも言わないのは映画ではないと思えたりする。

ただ、それだけでは本当に娯楽映画でしかなく、映画館を出れば忘れられてしまう。が、エンタテイメント性がありながら、そこにテーマがあれば、心に残る。また、そこにテーマがなければ感動したり、泣いたりすることはできない。

そのためには、時代を知らねばならない。今、何が起きて、何が進行しているのか? 人々は何を求めているのか? 皆が見えなくなっているものはないか? ダマされてはいないか? そんな世の中を反映していなければ、笑いも感動も起こすことはできない。

僕の映画のテーマはいつも「親子に伝える大切なこと」だ。でも、物語はいつもエンタテイメント。教育映画や社会派ドラマではない。ジャンルは青春もの。ハラハラして、笑って、泣いて、感動できる物語だ。が、そこにはメッセージもある。今、見つめているのは「どうすれば人は幸せになれるのか?」そして「幸せって一体なんだろう?」ということ。それが僕なりの映画だと考える。


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