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長岡アジア映画祭ー「朝日のあたる家」上映を振り返って [イベント]

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僕が「朝日のあたる家」を作ろうと考えていたとき、何人もの友人から「やめた方がいい。二度と商業映画を撮れなくなるぞ」と忠告されて悩んでいた。そんなとき、僕の先生である大林宣彦監督から新作映画の試写状を頂いた。それが「この空の花」知られざる太平洋戦争の事実、特に原爆のことを映画を通して伝える作品だった。

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その映画を観て衝撃を受けた。そして「師匠が原爆を描くなら、弟子筋の僕は何を描くべきか? 原発事故を題材にした映画を撮るべきではないか?」と考え、「朝日」制作を決意したのだ。背中を押してくれた映画「この空の花」がロケされたのが、新潟県の長岡市である。その地で開催された映画祭に参加できたこと。本当に感慨深い。

昨夜、無事に上映が終わり、僕のトークライブも好評。映画祭はクロージング。打ち上げまで参加させて頂いた。運命的な出会い、再会劇もいくつもあり、感動の一夜となる。

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まず、何より、長岡の映画祭で「朝日」が招待作品になったのは、この街出身で友人の五藤監督の紹介で、地元のK先生とお会いしたこと。昨年、「朝日」の新潟市の映画館公開で舞台挨拶に来た際、お隣の長岡でも宣伝させて頂こうと、御訪ねしたのだ。そのときに紹介してもらったのが、今回の実行委員のSさん。その彼が新潟の映画館で「朝日」を観てくれて、感動。今回の映画祭に招待してくれたのである。

その映画祭に協力している市役所の職員であるTさん。最終日にお会いした。実は、ロサンゼルスのジャパン・フィルム・フェスティバルですでにお会いしていた。「朝日」を映画祭で上映してもらった日に、何と「この空の花」も上映。その関係者として渡米しており、現地でお世話になった。


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さらに、「この空の花」ロケで大活躍されたWさん。前々から御噂を聞いていたが、その方とも昨夜の長岡アジア映画祭でお会いできた。名作「この空の花」を支えた力強い方々と出会えること。感慨深かった。

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まだまだ、不思議な縁は続く、大林監督が「この空の花」の次に撮ったのが「野のななななか」主演は常盤貴子さん。その常盤さんが次に選んだのが僕の新作「向日葵の丘 1983年夏」。大林監督の弟子ということで信頼し、出演を決めてくれたのだが、その常盤さんが大林監督と出会った街。そして「野のなななのか」の出演に繋がったのが、またまた長岡市。花火大会のことだったと聞く。「向日葵の丘」も長岡市と縁があるのだ。

映画というのは本当に不思議な運命で多くの人との縁を作ってくれる。そんな長岡市での映画祭。大盛況。スタッフの方がこっそりと教えてくえた。「今回一番、多くのお客が詰めかけたのは朝日でしたね」と。遠方の柏崎刈羽にお住まいの方々まで映画を観に来てくれ、会場は満杯。またまた、場内は涙涙の連続となり、最後には拍手が起こった。

この街でも多くの方が「朝日」に感動してくれた。静岡県で地元の皆さんの支援で完成した映画が、新潟県で上映され、同じように市民の力で映画を作った人たちと、感動を分かち合う。1本の映画は人と人を結びつけ、新しい出会いを生み、また、新たな物語を紡ぎ出すこと、痛感した。長岡アジア映画祭に参加できたこと。本当に感謝。

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