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才能なんて存在しないが、センスは大切。センスがなければアートはできない。 [MA]

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今回、MA作業をしていて痛感したこと。作業をしてくれるオペレーターさん。そして音楽家さんのセンスの凄さだ。そのシーンの終わりかけで音楽入るのか? 終わった直後に音楽が入るのか? 1秒しか違わないのに、それで大きくイメージが変わる。彼らのその判断。本当に見事! 彼らにズバ抜けたセンスがあるからできるのだ。

だが、センスというのはむずかしい。「この場面いいなあ〜センスある!」と思う人がいれば「別になんてことないよ〜」という人もいる。その場面の良さを言葉で解説することはできない。それは感じるしかないこと。そして、これが正解という形もない。決まりや文法もない。

なので、5人のスタッフがいても、4人がセンスのない場合。「音楽はシーン終わりから出ればいいんじゃない?』といい、監督が認めれば、その場面はセンスのないダサい形となる。が、それに彼らは気づかない。

映画館で上映すると、センスのない観客は「別になんてことないけど?」と思うが、センスがある人は「このシーン。最悪!」と感じる。往々にしてセンスのない人間が映画を駄目にすることが多い。分かる人には分かってしまうのだ。

僕自身。鋭いセンスがあるかどうか?は分からないが、こだわる。だが、プロデュサーはなぜか?センスがない人が多く、センスのないアイディアを押し付けたがる習性がある。なので、編集やMAではよくぶつかり、何度か殺そうか?と思ったことがある。

本当にセンスを説明することはできない。が、アートをやるなら絶対に必要。以前に「才能」なんて存在しないという記事を書いたが、才能はないが、センスは存在する。センスは残念ながら努力で得ることはできない。生まれつきのもので、センスを磨くことはできても、センスのない人が修行しても見につくものではない。

アメリカ映画でも「この監督、センスあるな!」と思ったら、イタリア系だったりする。その辺、努力では勝てない。日本でも音楽や広告業をやっている人にはセンスある人がよくいるが、なぜか?映画界は少ない。

だが、先日のMAでのオペレーターさんは凄かった。おかげでもの凄くいい作品になった。音楽の入れ方だけではない。その場面で流れるいろんな音。どれを大きめにして、どれを低くするか? 音楽と台詞のボリュームの比率、これら全て感覚だけで決める。その人のセンスが問われる。単に台詞が聞き取れる音量にするのは簡単だが、音楽や音との兼ね合いはセンスが大事。

今回、一番むずかしかったのは、ラストカットのどこで音楽が流れるか?だった。それひとつで、観客が「素晴らしい!」と思うのか? 「あ、これで終りね?」と思うのか?が決まる。そのパターンを何週間も僕は考えた。が、そのアイディアより、音楽家さんのアイディアの方がさらによかった。そのポイントで音楽が始まれば涙が溢れるのに、そのあとでスタートすると涙はでない。そのくらいに違うのだ。

中学時代にラジオで「淀川長治のラジオ名画劇場」というのがあり、毎週聞いていたのだが、そのとき淀川さんが「一流のものを見なさい」とよく言っていた。当時は理由が分からなかったが、今は分かる。一流はセンスが違う。それは教科書では学べない。本物を見るしかない。安易なテレビドラマしか見ないと、センスは磨かれない。だから、淀川さんはビスコンティを見ろ、歌舞伎を見ろと言っていたのだ。

確かに、海外アーティストのライブとかいくと、そのセンスに驚愕することがある。そんなこと思い出した。。


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