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子供たちのことを愛しているのに、ロボット工場に我が子を送りこむ親たちの物語。 [My Opinion]

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「今時、こんな受験、受験という母親なんていませんよ!」

あるテレビ局のディレクターをしている友人に言われた。それは僕が監督した映画に描いた主人公の母親のこと。娘に「勉強しなさい」「いい大学に行かないと!」とうるさくいう存在。友人はこう感じたらしい。

「昔は受験戦争と言われ、こんなタイプの母親がたくさんいたのは知っているが、今の時代、一流大学を出て、一流企業に入ったからと安泰という時代ではない。倒産したり、リストラされたりする。そんな可能性が強いのに、ただ、勉強して、いい大学に行けというバカな母親はもういないんじゃないですか?」

だが、そうではない。シナリオを書く前に受験生を持つ母親、高校の先生に何人も取材をして、ひとつの高校だけではなく、複数の学校の教師に話を訊いて現状を確認してある。「一流大学!」という母親は現在も数多く存在するのだ。先生方に聞いても親からの要望の一番は「いい大学に合格すること」だという。だからこそ、受験シーズンが終わると私立高校は***大学に**人、合格と書いた紙を張り出したりするのだ。

つまり、学校が一流大学を目指せと煽るというより、親たち、特に母親が子供を一流大学に入れたいという希望が多いとのこと。少子化で生徒を集めるのが大変な学校はその希望に応えることで、生徒を集め学校を存続させようとするというのが現代の構図なのだ。

しかし、友人のディレクターがいうように、今や一流大学を卒業して一流企業に就職してもリストラされたり、倒産したりすることがある。昔のように終身雇用、年功序列ではなくなってきている。にも関わらず、相も変わらず、一流神話を信じて、我が子を勉強させる親たちは何を考えているのか?

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具体的に考えよう。僕の高校時代はまさに

「受験地獄」といわれた頃。でも、その頃は一流神話が生きていた。親たちは戦後育ちで、日本がまだ貧しい時代を生き、結婚し、子供を生み、育てて来た。不安がいっぱいある中、子供たちの将来を案じ、確実に生活できる、安泰な仕事を望んだ。

それに対して、今、受験生を抱える親たちは、そんな受験地獄を生き抜き、社会に出て結婚、子供を作った人たち。考えてみると、僕と同世代である。それならば、親から「勉強、勉強」と言われて、辛かった高校時代を思い出し、そんな思いを我が子にさせたくないと思わないのか疑問になった。

学生時代から親しくしており、今は一時の父となった友人に聞いた。彼も高校時代は「勉強は嫌だ」「親はうるさい」「大学なんて行きたくない」といって本当に大学受験を拒否した奴だ。その彼が今、子供に何を伝えているか? 聞いてみた。

「とりあえず、勉強しろといってるよ....」

あれほど、勉強が嫌だ。無意味だといっていた友人がなぜ、そんなことを子供にいうのか? 

「だって、他に何を言えばいいんだよ。何をしたから生涯安泰なんてことはもうないんだよ。だから、とりあえず、勉強しろとしかいうことがないんだ...」

何とも悲しい話だ。大学に行き。大手企業に子供が就職したとしても昔のように安定した生活が送れないことを理解しているのだ。なのに「勉強しろ」としか言えない。別の親に訊いた。僕と同世代の母親だ。

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「何だかかんだいっても、やっぱり大手企業に入るのが一番。二流三流の会社はいつ倒産するか分からない。だからこそ、一流大学に入り、一流企業に就職することが大事なんですよ」

何だか気持ち悪いものがこみ上げて来た。

バブル以降。一流企業だって倒産している。リストラも行われている。世界のSONYといわれたあの会社ですら、赤字経営で苦しんでいる。なのに、その母親は一流神話にしがみついているのだ。言い換えれば、多くの船が荒波で沈没しかかっているけど、少しでも大きな船に乗れば、我が子は助かる....と言ってるようなものだ。

いずれの親も大きな勘違いをしていると思える。

ここしばらく書いて来たことだが、日本の教育というのは、ソフトバンクの孫社長も指摘するように、「暗記7割、考える勉強は3割」というもの。なぜ、暗記が多いかというと、高度経済成長の中で、余計なことを考えず、上からの命令に逆らわず、確実に仕事をこなす、歯車のようなサラリーマンを育てるためのシステムである。

昔はそれでよかった。でも、考えることが苦手なロボット人間は指導者が優秀であって初めて意味がある。それが時代が変わり、日本企業の指導者たちは今の時代を乗り切れずに苦しんでいるのだ。そんな会社にいると、一番に切られ、捨てられるのはロボット人間である。会社に見放されて、誰も命令してくれる人がいなくなったロボット人間はどうすればいいのか?

その前に、ロボット人間の教育を受ける前に

この厳しい時代を生き残るための術を子供たちに伝えることこそが親の使命ではないか? 孫社長はいう「考える教育を7割にしないと、日本は金輪際、アジアの企業に勝てない」その通りだろう。しかし、日本の教育は今も「暗記」中心で、ロボット人間を作るためのもの。親たちは子供のたちの幸せを願って、そんなロボット人間ー与えられたことをするだけで考える力のないーに我が子をするための学校に行かせ、優秀な成績を取らせようとしている。それは「考えるのをやめて、与えられたことを確実にする」大人に育てているのと同じ。

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そんな大人が21世紀を生き抜いて行けるだろうか?

 戦国時代は武術に優れたものが取り立てられた。が、時代が安定すると、その種の者は無用の長物となった。同じように高度経済成長からバブルまでは、ロボット人間が大量に必要だった。でも、今の時代は違う。「考える力」なくしては生き残れない。つまり、親たちは、戦国の世が終わったのに、今もなお「武士は強くなくては!」といって、「体を鍛えろ、剣術を学べ」と子供たちに強要しているようなものだ。

では、その親たち。何でそんな愚かなことを続けるのか? 彼女らこそが、「暗記」7割。与えられたことを疑わずに、確実にこなす教育を受けて来た世代だからだ。親たちも「考える力」がない。上から与えられた価値観。「一流大学」「一流企業」というのを盲目に信じて、今やその価値が失われているのに、疑うこともせず、安定と幸福と信じ、子供たちを無意味な受験戦争に送り込んでいるのである。

考える力がない親たちは、

今の教育がすでに意味をなさないことが分からない。今、子供たちがせねばならないのは「考える」教育のはず。与えられたことをこなすだけでなく、自分で考え、自分で行動する。時代はどこへ向かおうとしているのか? 何が必要とされているのか? そのためには何をするべきか? それは学校では教えてくれない。それに親たちが気づかなければ、子供たちは間違った道を突き進んでしまうのだ。


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梅茶

監督さんの憂いに、共感する方も多いのではないでしょうか。

確かに日本の教育は、少し変なことになっています。

本当は自分の頭で考え、行動するために必要な知識や教養を授けるのが教育の目的であるはずなのに、将来の安定した生活を得るためのレールに乗ることが目的となってしまっています。

先頃ノーベル平和賞を受賞された、マララ・ユスフザイさんの切実な願いである教育は、世界中の子供たちが、自分の頭で考える時間と、環境を与えられること…、それは、仕事やお金を稼ぐこと以前に、世界中の子供たちが、その与えられた能力を自分の力で育てていく自由を手にすること、だと捉えているようです。

日本の親御さん達が、いくら教育を受けてきても将来が安心できない世の中で、せめて、高学歴さえあれば少なくとも負け組にはならないだろうと、確信のない幻想を抱かざるをえない現状の中、何を信じてどこを目指して行けばいいのか、途方にくれているのは、当の子供たち…、教育を受けたくても受けられないパキスタンの子供たちと同じくらい悲劇的な気がします。

ただ、日本は活字や映像のメディアに溢れていて、その気があれば、いつでも心ある人々の作った作品に触れることができる自由があります。

その気さえあれば、自分で自分を教育できる今の日本の若い人々が、その人生で出会える映画に、心がこもっていたなら、いつでも生まれ変われる、やり直せる…、

そんな社会であって欲しいと祈りながら、「向日葵の丘~1983年夏」の公開を待ちたいと思っています♪


by 梅茶 (2014-10-13 15:00) 

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