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あなたは自分なりの「価値観」を絶対的と信じ、子供に押し付けてはいないか? [My Opinion]

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ベテランの映画スタッフが古い「価値観」を

若い監督にも強要する話。先日紹介した。どこの世界にもあることだが、それがまかり通っている業界が時代に取り残されて行くような気がする。

映画作りもそれぞれの世代、国、会社によって、方法論や価値観が違うのは当然だ。が、年配の人の多くは、自分が持っている「価値観」や「方法論」を「これが絶対的な映画の撮り方だ!」思い込み、受け入れない人に対して「お前たちは何も分かっていない!」と言うことが多い。狭い世界で生きて来たのに、自分の価値観がベストだと信じ込み、新しいものは受け入れられないと言っているのと同じ。頭が老化した人たちでしかない。

ただ、どうしても歳を取ると、若い内から培って来て方法論に縛られ、新しい価値観を受け入れられないのは理解できる。けど、それが最近はそんな歳でもないのに、狭い世界の価値観を振りかざす人たちも見かける。

友人のドキュメンタリー監督。

ある仕事でなぜか、CM業界のスタッフが参加していたという。ドメキュンタリーも、映画作りの経験もない。「何でここにいるの?」という感じだったが、いろいろと手伝ってくれるという。最初は気のいい「やり手」ディレクターという感じ。実際、CM界ではかなりな実力者らしかった。

だが、彼は次々に問題を起こす。ドキュメンタリーの世界。映画同様に指揮を取るのは監督。その指示でスタッフは行動する。なのに、彼はいちいち監督に逆らい「それは***の方法でやりましょう」と主張。友人監督が様々な方法論を考えた上で決定した指示。カメラマンとも話合って決めたこと。それに毎回逆らう。「クビ!」と言えばいいのに、まじめな友人はその度に「なぜ、自分はこのやり方を選んだか?」を説明。説得した。そのうちに彼は

「監督のやりたいことが分かりません。

リストアップして、その理由を書き出した書類を作ってください」といいだした。要は企画書を書けというのだ。本来なら映画会社やスポンサーに出すべきもの。いちスタッフのために作る必要はない。「こいつ何様だ?」と友人は思った。

本来、映画やドキュメンタリーでは、監督の言葉やシナリオからスタッフは意図を探り、それに沿って仕事を進める。なのに、リストアップして文章化して渡せというのだ。「私は馬鹿なので詳しく文章で説明してください」と言っていると思われても仕方ない発言だ。

かなり呆れ返ったけど、友人はこう考えた。「CMの人だし、その世界では活躍しているようだし、決してバカではない。最後まで気持ちよく仕事をしてほしいので・・・」と、時間がないところを時間を裂き、一晩がかりでリストを作った。そして2時間もかかって説明。それを聞き終えた彼は事務所に響くような大声でこう言った。

「んーーーー分からん!」

他のスタッフが振り返り、渋い顔をする。友人は何とか理解してもらえるようにがんばった。が、彼は努力もせず、へりくだることもなく、その後も上から目線で主張するばかり。通常のスタッフなら、分からなくても分かるように努力する。それをしない。何とか仲良く仕事をし、最後は笑顔で別れたいと思っていたが、態度は変わらなかった。

そして何か変更事項があると彼は「だったら、スポンサーに報告しないと!」といいだす。ドキュメンタリーなんて、いろんな事件や出会いが次々に起こる。イチイチ、連絡していたら切りがない。何を考えてんだ? と思ったが、この辺から理由が分かって来た。

彼の発想は全てCMなのだ。

映画で最終決定するのは監督、テレビはプロデュサー。CMはスポンサーなのだ。だから、何かあると彼はスポンサーに報告。承認をもらわねば!と思うのだ。つまり、ドキュメンタリーの仕事でCM作りの方法論を振りまわしていたのだ。

彼からすれば、CM界では何よりも大事なスポンサーへの報告もしない。綿密にスケジュールを立てて、確実に作業を進めるCMに比べ、取材活動も適当にしているように思え、友人の監督を不安に思ったようだ。それを象徴するのがこの言葉。他のスタッフにこういっていた。

「監督にアドバイスして上げているんですよ!」

その彼は決して若くはないが、頭が固い老人という訳でもない。しかし、20代30代とCM業界で仕事をした彼はその方法論が染み付き、今回は自分の経験のないドキュメンタリーの仕事ということを把握していない。別の業界で仕事をしていて、経験がないのに自分が正しいと思い込んでいる。が、実際にやっているのは、友人監督を苛立たせ、足を引っ張るだけ。

最後には友人監督が激怒した。「別の****でやりましょう」と何度目かに言われたとき、もう説明はせず「だったら、やらなくていい!」と返答。その後、一切仕事を与えなかった。彼は資料整理だけをしてそのプロジェクトを終える。たぶん、CMの仕事であれば実力を発揮したのだろう。だが、自分の経験したことのない仕事で、そこまでの「価値観」や「方法論」を強行に主張。監督の意図も汲めなかった。そもそも、その仕事には参加すべきではなかったのだ。

彼自身は「アドバイスしている」つもりでも、実質的には友人監督を苛つかせ、時間を奪い、何の役にもたたない。なのに、「このままでは駄目だ。ろくな作品にならない。俺は嫌われても大切なことは言わなければ!」と正義感に刈られていたのだろう。
先日、紹介したベテラン・スタッフと同じ構図である。悪意はなく本人は良かれと思い行動しているのに、ただただ、スタッフの邪魔をして、プロジェクトをかき回しているだけ。潜入工作員と何ら変わらない存在なのだ。特定の価値観に囚われて、自分が正しいと信じ込むことの「恐ろしさ」と「愚かさ」を感じる。

そこから考えること。親が子供に対して、

「***しなさい!」と命じる。「****するのは大事なことです」と教える。でも、本当にそれは正しいのか? ある世界においては正解でも、別の世界。いや、5年後。10年後には意味がないことではないか? 「価値観」は国や社会、会社。世代で全然違うのだ。それを考えず、「絶対的なものだ」と「これは子供ためのアドバイスだ」と思い込み価値観を押しつけていないか? そんなことも考えさせるエピソードであった。

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