映画界では黒澤組、大林組と「組」で呼ばれる。 どのようにしてメンバーは集まり、展開するのか? [映画業界物語]

映画撮影のチームのことを監督の名前を取り**組と呼ぶ。黒澤明さんが監督のチームなら黒澤組。大林宣彦監督なら大林組。やくざの組ではなく、映画撮影の組だ。
基本、スタッフは監督が声をかけ集める。撮影が何度も行われるたびに、気の知れたスタッフが毎回参加することになり、顔ぶれも同じになって来て、ファミリー的な様相を強める。
そんな映画は各パート。撮影部、照明部、演出部、美術部、制作部、録音部、衣裳部と、それぞれが意思疎通できて、協力し合わないと、絶対にいい作品はできない。監督1人がどんなにがんばっても駄目。その監督の意図を、意思を、思いを理解してくれるスタッフがいてこそ。そして、スタッフが協調し、力を合わせたときに名作と呼ばれるものができるのだ。
が、その監督の意思、意図を理解するのがまた大変。スタッフは最初「監督は何がやりたいんだろう?」と思いつつ、シナリオを読み、現場に臨む。打ち合わせを重ね、撮影をするが、監督というのは変人が多く、なかなか意図を理解するのは大変。出来上がった映画を見て「あー、こういうことだったのか! それならもっと****な努力をすればよかった」とか納得したり、反省したりする。それを何度か繰り返すことで、意思疎通や監督の意図が分かって***組は出来上がって行くのだ。
しかし、そんな理解に勤めるスタッフばかりではない。「この監督。駄目だなあ〜。これじゃろくなものができない!」と見限って「次からは依頼を受けても参加しない!」という人もいる。監督側からすれば「何だあいつは? 何で俺の意図を理解できない。頭古いんじゃないか? 次からは二度と呼ばない!」ということもある。
その辺は思い当たる。僕は昔の監督のように助監督を何年も勤めた上で、監督になってはいない。ハリウッド映画が好きで、日本で自主映画を作り、アメリカの大学の映画科で学び、日本で監督デビューした。かなり、特殊な経緯で来ている。だから、日本映画の伝統を踏まえた映画作りはしない。が、長く映画スタッフをして来たベテランはそれを大切に踏襲するので、ぶつかることがあった。
ベテラン・スタッフからすれば「この監督は映画作りが分かっていない!」と呆れる。僕からすれば「この人は古いしきたりや方法論に縛られて、新しい挑戦ができない」と困る。もちろん、ベテランの中には新しい方法論をおもしろがってくれる人もいるが、自分たちが長年やって来たやり方しか認めないという人も多い。
要は自分たち「やり方」や「価値観」を新人監督にも強要したいのだ。が、それなら伝統あるやり方を引き継ぐベテラン監督と実践してほしい。日本映画には職人芸的な引き継ぐべき部分もあるが、それを継承するだけなら古典芸能だ。
(その古典芸能の代表ともいえる歌舞伎も近年、閉鎖的になったことを嘆いた先代の市川猿之助は昔のように新しいものを受け入れる歌舞伎を実践しようと、スーパー歌舞伎をスタートさせた。最初は業界から批判が相次いだが、「ヤマトタケル」「新・三国志」等を大成功させて多いに注目を集めた。どの世界も昔から同じことをしているだけでは、廃れて行くのである)
そんな訳で腕はよくても過去の方法論に縛られるスタッフは次からは呼べなくなる。もちろん、ぜひ、今後も仕事をしたいスタッフでも、いろんな事情でお呼びできないことはあるが、こうして、監督の意図を尊重、理解してくれるスタッフが集まり、***組が出来上がって行く。
繰り返すが監督1人では何もできない。どうしても監督がスポットを浴びがちだが、本来、監督の仕事というのは、スタッフが向かうべき方法を示す。この1点といってもいい。あとは各パート、実力溢れる多くの職人スタッフが、その向かうべき方向に向かって、協調し、実力を発揮することで、素晴らしい作品が完成する。つまり、映画というのは才気溢れるアーティストたちの競演。だからこそ、何年経っても忘れない感動を伝える作品になるのだ。

2014-09-01 21:26
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0