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「夢見る力」シリーズ クリエーターになるには、遠回りが大事?(改定版) [My Opinion]

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最初にシナリオを書いたのは高校時代。

「キネマ旬報」に掲載されていたシナリオを見よう見まねで、オリジナルの作品を書いた。在学中に数本。とても人に見せられる内容ではない。

その後、映画学校に通ったが、あまりに退屈なので登校拒否? 自主映画を始めた。そのシナリオは自身で書いたので、毎年1本は書いていた。それから5年。自主映画をしていた仲間の何人かはプロデビュー。監督や脚本家になる。が、いろいろと感じることがあり、僕は自主映画をやめ。プロの世界にも進まず(実は業界の仕事を少ししていたのだが)アメリカ留学を決意した。23歳だった。

一番の理由は20歳やそこらの経験で、物語を作り続けることができないと思えたことだ。もし、プロになれても25歳から毎年監督したら、70歳で死ぬとして45本。3年に1本監督するとしても15本。そんなたくさんの物語を作ることができるのだろうか?

もし、監督するだけなら、良い脚本を探して

映画化することもできる。が、僕は自身で書いた物語を映画にしたかった。その意味で良い脚本が書けなければ監督業を続けられない。良い脚本を書き続けるためには何が必要か? たくさん本を読むこと? 映画をたくさん見ること? いや、僕は自身がいろんなことを経験することだと考えた。

ただ、だからといって、漁師を2年。農家を2年。と仕事をしていると、豊富な経験はできるが、それでは監督できる環境に繋がらない。映画に繋がる環境にいて、それでいて業界以外の経験ができる場所が大事と考えた。それが留学だった。ロサンゼルスにある南カルフォルニア大学の映画科を目指して渡米。英語コースで勉強を始めた。そして6年。この辺のことは何度も書いたし「スクリーン」誌でも連載させてもらった。

しかし、アメリカの映画科で勉強したからと、

帰国してすぐに仕事ができる訳ではない。むしろ「だから何?」という対応だった。そこからまずシナリオライターになろうと、またシナリオを書き出す。正午からレンタルビデオ屋。夕方から居酒屋でアルバイト。夜中に帰宅。そこから朝までシナリオを書く。そんな生活を続けた。何度も倒れそうになった。

その後、演劇学校で教えたり、雑誌のライターを始めたりして、生活体系は変わるが、シナリオを書き続けた。結局、デビューまでに5年! 20本以上のシナリオを書き、1本も映像化されていない。だが、もし、留学せずに23歳から5年がんばっていれば28歳でデビューできたかもしれない。6年の留学生活は本当にそれは意味があったのか? 長らく考えた。

帰国したとき、何人もの友人はすでに監督デビュー、

脚本家デビューしており。友人からも「あのまま日本でがんばっていればVシネマくらい監督できたかもなあ」と言われた。でも、それでは長続きしないので、遠回りしたのだ。それに意味があったこと。感じるのはごく最近である。

デビュー作「ストロベリーフィールズ」は10代の作品の延長にあった。けど、「朝日のあたる家」あたりからは、そうではないものが出て来た。今回の「向日葵の丘」は特にそうだ。あのまま、20歳前後でデビューできていたら作れなかった映画だと思える。毎回、オリジナルシナリオを書いていて感じること。物語は人生の切り売りだということ。机の上で考えたストーリーでは観客は感動してくれない。

自身が背負う十字架。見つめるしかなかった悲しい現実。

答えの出せない苦しみを描くことで、観客は胸打たれること。痛感。だったら、何もアメリカ行かなくてもよかったんじゃない? と言われそうだが、ま、何かの役に立っているはずだ。本を読むだけ、映画を見るだけで、物語は作れない。物語は人生の切り売りだ。カードはたくさんあった方が長く続けられるはずだ。

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