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夢見る力シリーズー高いプライドが夢を壊した友人の物語 [My Opinion]

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G君という学生時代からの友人がいる。

ジョンウー監督の映画が好きで、いつかアクション映画の大作を監督するのが夢だった。大学を卒業後。多くの友人が夢破れて他業種についた中。彼は製作会社に就職。下積みを続け、やがてディレクターとなる。そしてフリーになり。製作会社から依頼されて深夜ドラマを演出するようになった。

が、彼の生活は大変。フリーは月給ではなく、1本いくらの仕事。依頼が来なければ収入はない。深夜ドラマの演出なんてバイト料のようなもの。彼は20数年、風呂なしのアパートで暮らしている。でも、ディレクターが最終目標ではなく、アクション映画を撮るのが夢。深夜ドラマで実績を示して、映画の監督依頼が来るようなディレクターになろうとしていた。

ここまで聞くと、なかなか、がんばっているように思えるが、

長年彼を見ているうちに「あれ?」と思うようになってきた。あるとき彼は言う。「最近の若いシナリオライターは本当に駄目だと思わないか?」彼はD(ディレクター)なのでシナリオは書かない。上がって来たものを現場で演出する仕事。それが本当に面白くない、駄目なシナリオが多く、毎回、彼が大直しして撮影するという。

P(プロデュサー)は「G君のお陰でいい作品になったよ」というらしい。その脚本家まで「よくなりましたね」と感謝を伝える。彼はいう。「毎回、そうなんだよ。脚本料をもらいたいくらいだ!」しかし、違うと思える。

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「だったら、Pに次のエピソードはオレに書かせろ!

と直談判すればいいだろう? もし、駄目だといえば実際にシナリオを書いて見せて、どっちがよくできている?と迫ればいいんだ」そう提案したのだが、G君は「Pが依頼して来たら、いつでもシナリオを書く」としか言わない。

気になることは、もうひとつある。G君は「オレはいずれアクション映画の大作を撮る。テレビだけでは終わらない」といい、シナリオを書いている。が、それが完成した試しがない。いつも途中で「んーこれはオレに相応しいスケールの物語と違う!」とディレートしてしまう。結局、学生時代から同じ繰り返しで、就職してからも、フリーになってからもシナリオを書き上げたことはない。

映画界で企画を売り込むとき、基本はシナリオである。

口でいくら「オレは演出力がある。大ヒット映画を撮れる。だから1億円出してくれ」といっても駄目。まず、シナリオありき。ま、シナリオを読める映画人が少ないという問題はあるが、シナリオがないとなにも始まらない。が、そのシナリオをG君は書き上げたことはない。なぜか? 

口で「将来は映画監督になる!」といって何もせずに消えて行った友人をたくさん見て来た。その中でG君は実際にフリーディレクターにまでなり、ドラマの演出をしている。なのに、なぜ、アクション映画のシナリオを書こうとしないのか?

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 あるとき、2ヶ月。G君に仕事依頼がなかった。

1ヶ月依頼なしはあったが、生活が破綻する前に必ず仕事が来た。今回は違う。「これは神様がいつまでも深夜ドラマなんかやってないで、映画を作れといってるんだ。シナリオを書こう」G君がそう連絡して来て、嬉しく思った。

数ヶ月後。彼に会ったとき、シナリオはできたか?訊いた。ら、「あーあれからすぐに依頼が来たから、結局、シナリオは書いてないんだよ」んーもう駄目だな....と思った。もし、本当に映画が撮りたいのであれば、シナリオを書かないと始まらない。依頼を断ってでも書く。そうやって突破口を開くことが大事。

或いは、D業で満足しているのなら、それでもいい。

なのに「シナリオが良くない」「オレが直さないとどうしようもないレベルだ」「若いライターは駄目だ」と文句をいう。といって、自分がシナリオを書こうという気もない。どういうことなのか? これは彼が一応、プロの演出家になったので分かり辛いが、前回紹介した「オレには夢がある」という若者たちと同じなのだ。

G君には大きな勘違いがある。人のシナリオを読めば、粗が見えるのは当然。こーすればいいのに? このシーンいらないんじゃない?と感じる。だが、批判は素人でもできるのだ。批判というのは危険で、批判している内に自分の方ができる!という錯覚に陥る。よく、映画レビューを読んでいると一般の映画ファンが「オレが監督した方がマシ」と書いているのを見るが、それと同じ。批判している内に自分の方ができると思い込んでしまうのだ。

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脚本家になった友人はこういう。

「どんな駄目なシナリオでも、ゼロから物語を作り上げることは大変なこと。それを直すことは素人でもできる。できたものを直すことは本当に簡単なことなんだ。どんな駄作でもゼロから作り上げることは大変なことなんだ」ーその通りだ。

G君はもともとプライドが高い。D業をやっていても、「オレは本来、映画の世界で活躍したい」と思っている。人の書いたシナリオを読んでケチをつけている内に、自分の方ができると勘違いする。自作のシナリオを書き上げたことはないから、書き手の苦労は分からない。だから平気で否定できる。では、なぜ書かないのか? それも彼が発言している。「自分に相応しいスケールではないから」つまり、自分が書きたいものがあるというより、他人から批判されないものでなければならない。という意識が強く存在する。

だから、深夜ドラマのシナリオも書かない。

もし、Pやライターに「Gさん。これは今イチですよ」と言われたら悔しい。プライドが傷つく。だから書けない。書いてはいけない。こう考えて行くと、彼はアクション映画を撮りたいといいながら、その努力をしないのは、作る上で、誰かに否定されることが怖いからなのだ。だから、シナリオを書かない。依頼が来たから書く時間がなかったと自身に言い訳してしまう。結局、前回、紹介した若者と同じ。

もっと掘り下げると彼はアクション映画が好きなだけで、監督したい訳ではないだろう。ジョンウー監督やクエンティン・タランティーノのような監督になって尊敬されたい。「Gさんはスゴイなあ」と思われたい。それが本音ではないか?だから、彼は映画館で観た日本のアクション映画を否定しまくるが、自分はどんな作品が撮りたいか?を語ることはない。

たぶん、彼は子供の頃からアクション映画が好きで、おたくと呼ばれてバカにされていたと思える。家族からも認めてもらえなかった。だから、アクション映画を撮ることで、見返してやろうと思った。が、映画を見るのが好きなだけで、こんなのを作りたい!という思いはない。

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だから、シナリオが書けない。

演出の仕事は与えられたシナリオを映像化すればいいので、それなりにできる。つまり、彼は作家ではないということ。自分が
憧れるハリウッドの映画人と同じような「アクション映画監督」と呼ばれることを夢見ただけなのだ。

彼は無意識にそのことを自覚していたはず。だから、シナリオを書こうとしなかった。書いたら自分に力がないこと。ビジョンがないことがバレてしまう。しかし、時は決着を着ける。D業をいくら続けても苦しい生活しかできない。50歳を目前にして、1本も映画を撮っていないのに、アクション映画の超大作を監督することは不可能。G君は古里に戻った。が、僕には最後までD業を辞めるとか、アクション映画を撮るのを諦めたとはいって来ず。「住所が変ります」という知らせがあっただけだ。

彼から学んだこと。

「高いプライドは自分を縛るだけ」そして「やりたいこと」と「やれること」は違う。彼はアクション映画監督になりたい!という憧れに縛られて、本当に自分ができることが何なのか? 探そうとしなかった。それが一番大きな悲劇だったと思えている。

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